5年ぶりに高校の最寄り駅に降り立ったとき、突然あの頃の映像がいくつも湧き上がってきた。
部活に夢中になっていた頃、改札を駆け抜けるように出た朝のこと。
部活の人たちと「噛み合わない」が失笑ですまなくなっていった中で、何を言っても返事をしてくれないようになった背中たちの後ろをとぼとぼ歩いた横断歩道。
初めてできた恋人と、帰りの電車を一緒に待ったベンチ。部活の後におにぎりを頬張る彼の横顔。
何もかもが崩れ始めた時期、重い体をひきずって登った坂。

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今なら、わかる。
あの時は、17歳の私は十分な言葉を持っていなかった。
あの時は、ただただ苦しくて、でも誰にも言わなかったし、言えなかった。
もし「助けて」と言えていたら、何か変わっていたのかな。

いわゆる進学校の、高校の人たちに壁を感じるのには2つの理由がある。
1つは、自分のことだけを考えていたらよくて、それが当たり前の人たちばかりだったから。
家族のこと、他者のことで悩んだりしない。自分の今日と明日と大学進学のことで頭がいっぱいだ。
悩んでいた人はきっといたのかもしれない。
でも出会えなかった。
共有できなかった。

2つ目は、弱さを出せないから。優秀がゆえ、プライドが高い人が多い。自分の成果ばかりを見せ合っている気がする。情けなさを出すと、すかさず冷たい視線が飛ぶ。「自己責任」的な風潮がどこかある。
「その部活を選んだあなたが悪い」
「仲良くしてもらえない側に原因がある」
「大変そうだね。でも自分はこんなにも楽しいからよくわからないや」
いじめに遭っていた渦中、限界がきた夏。会話の端々に苦しみが滲み出始めた私の、絞りでた一言はいつだって黙殺された。

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全てが終わりかけた頃に、いじめに遭ったことを思い出話のように話すと驚いている人ばかりだった。
「うちの高校にもいじめってあるんだね」
あなたたちは今まで私の何を見ていた?
もっと大人を頼ればよかった。

そして、17歳が背負うには重すぎた現実がもう一つ。
大切な人たちのがん、死。幼馴染のうつ、拒食症。家族の看病、看病をめぐる衝突。
自分のことだけを考えて生きることが許された人たちの、強すぎる個性に揉まれて日中は過ごす。夜が来て、また朝になれば、家族や幼馴染のことで悩む無私の時間。
心が分裂していった。

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あの時の苦しみを自分なりに解釈できるほど、青い私はまだ言葉を持っていなかった。
ただもがいて、溺れていった。
息ができなくて、苦しくて。
卒業までそのままだった。
今なら、抱き締めてあげられる。17歳の紺色のブレザーの小さな肩を。
膝上の短いスカートにお気に入りのリボン。ローファーに紺ソックス。憧れの女子高生だったはずなのに。現実はほど遠く、毎日泣きながら帰っていた日があった。
なぜ泣いているのかもわからなくなった。

大学に入ってから、素直に傷ついたことを認め、共有しあえる人たちに出会えた。何気なく語った私の話を聞いて、泣いてくれる友人もいた。
苦しみを乗り越えて夢を追いかけ、成し遂げた大人たちに何人も出会った。その人たちは、闇を抜け出した先の世界を見せてくれた。希望は自分で創れることを私に教えてくれた。
世界はずっとずっと広くて、色んな人がいて。言葉を介して多様な人たちと学び合い、共感しあってきた。
私は知らず知らずのうちに、いくつもの言葉を操れるようになっていった。他人を受け入れ、自分を伝え、自分を受け入れる言葉たちだ。
そして私はプライドでできたガラスの壁を持たなくなった。ガラスの壁を壊してくれた人たちがいたからだ。ガラスの壁なんかなくたって大丈夫なんだと教えてくれた人たちに出会えたから。

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高校の最寄り駅に降りたって、涙があふれたのは、
「ようやく、卒業から5年の時をへて、あの頃の私が報われていく」
自ずと、そんな言葉が心の奥から湧いてきたからだった。

今なら、生きているのも悪くないって思える。
高校を出てからも、死にたくなるようなことは何度かあったけど。
でもあの苦しみに5年の時間をかけて終止符を打てたから。
絡まった糸が解けていくように、苦しみをぴったり言い表す言葉を紡いでいけるようになったから。
少しずつ言葉で表現できること、解釈できることが増えていき、その詩の先に、私は夢を語れるようになった。
大人になるにつれ、抱えていく問題はどんどん複雑になっていく。
でも、大人になればなるほど私は生きやすいと感じるんだ。