ソイラテと同じくらいフラペチーノも好き。
ジーパンばかり履くけど、ミニスカートももっと履きたい。
重くならないようにわざとメッセージの返信遅くしてるけど、本当はすぐに返したいし、週一回会えば満足そうに見えるかもしれないけど、会える時間があれば少しでも会いたい。
前者も後者もどちらも本当の私で、どちらも自分の好きだけれど、
「クールで、さっぱりしてて、人に依存しない」
それが世間一般の私の評価だ。
その評価に不満もないし、自身で印象操作をしている面もあるため妥当な評価だと感じる。
しかし、私は表に出していない私を愛してくれる誰かを望んでいる。
その中でも、誰にも言えない世間に隠してる私の性質、性欲に対する性質だ。
私はおそらく性欲が強く、かついろんなこともやってみたいという欲が強い人間だ。

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私が初めてその手の快感を感じたのは、小学生の頃。セーラームーンの中で、ターゲットが敵に心の鏡を覗かれるシーンに興奮したことが原点だ。
特段妖艶な描写ではないにも関わらず、なぜかそのシーンを何度も繰り返し再生した。
しかも、その行為は親が寝静まった夜中。まるで悪いことでもしてるかのように、そのシーンを何度も繰り返し再生していたのだ。

直接的な描写を見たのは、中学生で買ったフラワーコミックの「萌えカレ!!」だった。
読んで思わずクローゼットの親が見つけられないであろう場所に保管していた。
そして夜な夜な取り出しては、一人布団の中で読み耽っていた。オナニーもその頃覚えた。
初めての彼氏ができた大学生、初めは恥ずかしいし、彼氏に身を委ねるしかなかった。
しかし次第に慣れ始めると色々なことをしたいし、もっとされたいという欲が出てきた。
その気持ちとは裏腹に、当時の彼氏は性欲が低かったため基本は一回、毎回のセックスの流れはほぼ決まっていたため、だんだん物足りなくなっていった。

当時の私はこの性質が女性として恥ずかしいものだと感じていたため、彼氏におねだりすることもできず、当然打ち明けることさえできなかった。そして基本的にセックスでいく事ができなかった私は、事後にも関わらず彼氏が隣で寝ている中、一人で絶頂に達していたことも少なくなかった。正直、二人で山頂まで上り詰める行為に対して、先に山頂までいかれ、下山されるのは気分としては良くなかった。

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精神状態が安定していない時期は、女性風俗のHPを検索したり、近場の男友達に連絡してご飯に行ったりした。ご飯を食べに行く行為は当然その後を期待しての行動だったが、HPを検索しても、彼氏以外の男性とご飯を食べに行っても、私は決して一線を超えることができなかった。私の性に関する興味や欲求は、あくまで好きな人とするというところが前提にある性質なのだと痛感した。
しかし、その好きな人に打ち明けることもできず、結果として性に対する我慢の限界も別れを決断する要因の一つとなってしまった。

おひとり様になってはや数年、この手の想いは募るばかりで消化できていない。
もちろんこの間、何度もワンナイトやビジネスとしてのセックスに試みようとしたが、どうしてもできなかった。色々と妄想している割には安全圏内で楽しみたいという自制心も同時に働いているようだ。
彼氏という存在がいつ私にできるかは定かではないが、仮に心から好きな彼氏ができたら、その時は、今度こそは、この性質を打ち明けてみようと思う。
そんな私を受け入れてくれる人と人生を共にしたいと思う。
他人に隠しているが、私の大事なアイデンティティなのだから。