今思えば喧嘩の原因はどちらでもなく、まだ高校生だった私たちには重い課題とも言えたでしょう。
まだ17歳だった私は、あることをきっかけにいじめにあってしまいました。同級生からの陰口やあらぬ噂などで約1年間のあいだ苦しみ、当時の彼女の事もいつの間にか敵視してしまいました。
そんな中、同じ部活動だった彼女にある時こう言われました。
「何か困ってることがあるなら相談して」と。

脆かった私は、純粋に差し伸べてくれた手を信じることができなかった

私は彼女の手をはらってしまいました。私は誰の事も信じられず、1番近くにいてくれた存在にも気づけませんでした。彼女は私が苦しみ傷ついている姿を誰よりも見ていてくれたのに、私は「何もない。ほっといて」と突き放し、傷つけてしまいました。
それから彼女とは同じ部活動にも関わらず口を聞かず、私はとうとう高校2年生の夏にやめてしまいました。

部活を辞めるにあたって、部の女子で話し合いが行われました。同級生の女子部員は私の置かれている状況も分かっていました。部員らは、だからこそ「ここを居場所にすればいい」と言ってくれました。

ですがこの時の私はとても脆く、聞こえてくる誰かの声さえ、自分の悪口やあらぬ噂話なんじゃないかと怯えていた為、部員の言葉を聞き入れられませんでした。
そうして辞めてしまった後、彼女と接点もなくお互いがお互いを避けて生活するようになりました。
一緒に過ごしていたお昼休みも、忘れた参考書を借りに行く日々も、もう戻っては来ませんでした。そんな中、高校3年になりクラス替えも行い、お互いに新しい仲間が出来ました。

彼女の気持ちを考えず自分よがりだった私に気付いたときには遅く…

高校3年の生活の中で彼女に関しての話を聞く度に心が痛み、話しかけるタイミングを伺っては、勇気が出せず目を逸らし、彼女に彼氏が出来たときき、ひっそりと幸せを感じました。

高校の3年間はとてもあっという間です。
頭が良くなかった私はよく補習を受けていました。補習が終わると帰り際に教室で勉強している彼女の姿を見て、胸を刺されるような苦しみを覚え、悲しくなりました。

彼女が手を差し伸べてくれた時、どうして「助けて」と一言声をかけられなかったのか。彼女を巻き込みたくない思いが、逆に彼女を苦しめてしまっていた事にどうして気づけなかったのだろうか。

「善人の気持ちは、時に自分よがりなばかりで周りが見えなくなる」
この言葉は私の祖母がよく言っていました。
私が彼女を自分の事に巻き込みたくないなどという気持ちは、自分よがりな考えでしかなく、私が彼女の立場なら大切な友達を助けたい、頼って欲しいと思うのは当たり前です。
頼られなかった時、助けを求めてくれなかった時、どんな気持ちになるでしょう。そんなの分かりきっていました。考え考えて気づいた時には既に遅かったのです。

もう旅立ちの日が来てきました。高校卒業の日、私は彼女に「今までごめんなさい。今でも私はあなたと友達でいたい。沢山傷つけてしまった分取り返したい」と言いました。が、「私はもうあなたに傷つけられて振り回されるのが怖い」と絶交することに。

出せなかった手紙を通じて伝えたい。あなたがいたから私は変われた

それから4年、私も彼女も21になりました。あの時の私たちを振り返ると、私の精神面もとても弱く、小さなことへの感謝も出来ずに彼女を苦しめてしまったこと。彼女が異変に気づいていてくれていたことも、私はまだ何も言葉をかけられてしません。

だからこの「出せなかった手紙」を通じて伝えたいです。

あの時、誰よりも気遣ってくれて心配して声をかけてくれてありがとう。私と1年半の濃い時間を過ごしてくれてありがとう。
私はあなたがいたから変わることが出来て、今こうして振り返るのも怖くなくなっています。たまにSNSで楽しそうなあなたの投稿を見て元気を貰っています。
どうか、私との辛い時間を忘れるくらい幸せになってください。