まだ3つ離れた弟が嘘泣きをしていた頃、私と弟は仲が良かった。派手な喧嘩をすることもあったけど、仲直りすれば私の真似をするような弟が私は大好きだった。
でも、いつからだっただろうか。彼は段々自分の殻に閉じこもるようになっていった。
大人しく閉じこもっていれば、親が心配するくらいだったのだろうが、彼には多少やんちゃなところがあって、度々教師と衝突しては両親を困らせた。今では立派に社会人として働いているが、それまでの道は決して平坦ではなかった。
これはそんな彼と、母親のお話。
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幼少期の頃から癇癪を起こしたり、近所の子と喧嘩したり問題は色々あったけど、本格的に親が弟に困り始めたのは小学生低学年の頃だった。授業中、弟が立ち歩くというのだ。
さらに、それを機に時々お世話になることになった養護教諭とそりが合わず、弟は教師に反抗してはまた怒られた。両親は話し合いのために度々学校に行かねばならず、言って聞かせても素直に聞くような子ではなかったので、家庭でも雰囲気が悪くなった。
特に弟に手を焼いたのが母親だ。長女の私は素直ないい子で、小学校でも比較的優秀な方で褒められることが多かったので、世間体も気にするようなところがある母は、余計に戸惑い気苦労が大きかったのだろう。
家でも母と弟が衝突することは多く、母は次第に疲弊していった。
当初は、弟を理解しようと自閉症の本を読んだり、ADHD(注意欠如・多動症)を疑って精神科に通ったこともあるようだ。しかし、ADHD傾向はあるものの、症状が重度ではなかったので診断はしてもらえず、ただの問題児として母へ重くのしかかった。
もちろん親として子供を愛していたと思うし、母も常日頃そう言っていたが、時々弟のことを「大っ嫌いよ。もう本当に嫌」と漏らす母は、嘘を言っているようには見えず、私は幼心にドキッとしたものだ。
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ある時、小学校の時の全校集会で弟が突然駆け出し、列の外で養護教諭に追いかけられていたことがあった。
私もその場にいたのだが、何を思うでもなく、これから怒られるであろう弟をかわいそうに眺めていた。同級生からは、「あれ弟だよな?」「やばいな、恥ずかしくないん?」そんな言葉をかけられたが、私が弟を恥ずかしいと思うことは全くなかった。自分は自分、人は人、という価値観がはっきりしていたので、むしろ不躾な同級生の言葉を失礼に思うくらいだった。
しかし、その一件を聞いた母は、「恥ずかしくなかった?恥ずかしかったでしょう」と私を憐れんだ。周りの人に何を言われても気にならなかった私だが、不意打ちを食らった気分だった。その時初めて、一番弟を恥ずかしく思って欲しくなかったのは母親だったと気づいた。
ますます悪者になっていく弟と、関係を悪化させる母に、幼い私の心も凍てついていくのだった。
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弟はその後も低空飛行を続け、なんとか高校を卒業したが、その間もバイクの免許を取ったりお酒を飲んでみたり、親と衝突してばかりだった。高校卒業後しばらくして、弟は実家を出て一人暮らしを始めたが、バイト暮らしでなんとか生計は立てるものの、家に引きこもってゲーム三昧、プー太郎の日々が続いた。なんとか自立した生活を始めたので両親との関係は良くなったが、一人暮らしの弟を気にかけつつ、母はやはり人目が気になるようだった。
しかし、ある日突然そんな生活にも飽きたのか、弟は就活をして正社員として働き出した。正社員として働くのはなかなか大変なようで、あの反抗的な弟が、ついに正月に土産物を手に実家に帰るようになるまでに彼を変えた。
今でも時々弟の半生を振り返り、「就職してくれて本当によかった」と話す母。彼の優しさを知っている私はいつだって彼の味方だったが、親として責任ある立場であれば彼を信じるのも大変だったろうことくらいはわかる。
彼が何を良しとし、何を選ぶのか。こればっかりは彼を信じて待つしかない。
自立した生活を歩む弟と、彼を信じて育てた両親が仲良くしている姿に、私もほっと胸を撫で下ろすのだ。