自分の意思とは無関係に身体が変化したことへの葛藤

小学6年生の夏も終わり近く、パンツに小さな赤いシミがついていた。周りの友人は月経になっている人もいて、これが月経だと分かった。
しかし、赤いシミは女性であることを表す象徴であるため、認めたくなかった。そのままこっそり血の付いたパンツをタンスに隠し、見て見ぬ振りをした。幻であって欲しかった。
しかし、私の気持ちとは裏腹に、赤いシミは次の月からどんどん大きくなっていった。私が母親に月経のことを伝えれば、私が女性であることを認めたことになってしまう。だから、言わなかった。トイレットペーパーをナプキン代わりに使った。
私は自分の意思を無視して身体が変化したことが許せなかった。そして、そんな自分の身体が嫌いになった。私は男でも女でもない、何にも縛られない自由な存在でありたかった。

生理が来たことは、自分の同意なしに担任と母親へ伝わった

3ヶ月目あたりから経血が沢山出るようになった。ティッシュペーパーではもう対処できなかった。授業中、服に赤いシミが付いてしまわないか気が気でなかった。
そしてある日、体操着に赤いシミが大きくついてしまった時、私は諦めた。もうダメだった……。誰かに助けを求めないと、月経に対処できなくなっていた。

担任は男の先生で恥ずかしくて言えなかった。だから、養護教諭の先生に生理が来たことを伝えた。
養護教諭の先生から担任へ、そして担任から母親へ、私の月経の話が伝わった。自分の同意なしに養護教諭の先生が親や担任に伝えたこと、自分が女性であるということを認めてしまったこと、どちらも、とても屈辱的で、恥ずかしかった。
先生や両親に月経のことが伝わったおかげで、生理用ナプキンで対処することができるようになった。しかし、私の心は納得していなかった。親や先生は、この時期の子どもが体の変化に対して違和感を持つのはよくあることだと、私に伝えてきた。

世間一般にみたらよくあることかもしれないが、私にとっては一大事で死にたい気持ちになることだってある。そんなことを私に伝えるよりは、一緒に気持ちに寄り添って、どうやって月経を受容したらよいか考えてほしかった。
私は孤独だった。

自分を救ったのは教師でも両親でもなく、お気に入りのナプキンだった

毎月、生理が来ると自分を嫌いになった。特にナプキンは真ん中に厚みがあり気になった。身体に馴染みにくく、不快感を生じたりすることもあった。
しかし、あるナプキンが私の人生を変えた。そのナプキンは私の身体に馴染み、肌触りも良く、真ん中は厚みがなく平らだった。そして、毎月の私の生理中の不快感を減らした。
このナプキンのおかげで、私は月経と共生していくことになった。

月経に関わる人が自分らしく生きられる社会を求めて

中学生の時、女子だけの部活に入った。女子だけの空間では月経について相談しやすく、部員で悩みを共有することができた。
小学生の頃は、月経について友人と話し合ったことはなかった。だから、自分1人が月経に苦しんでいると思っていた。でも部活を通して、みんなそれぞれ月経に対して悩んだり、不安に思うこともあるのだということを知った。

高校生の時、月経に関する掲示板を偶然見つけた。そこには、月経について悩む小学生や中学生の声が沢山書いてあった。そこから月経に対して、私と同じような悩みを持つ人、違うことで悩む人、色々いると分かった。そして、その人たちみんなの月経に関する悩みを少しでも軽くして、自信を持って自分らしく生きていけるような支援がしたいと強く思った。

今年私は助産の大学院に合格し、来年から助産学生として助産師になるために勉強する。
将来は助産師として月経に悩む人の心と身体に寄り添い、支援ができるようになりたい。