ここ数年、Twitterで見かけるようになった言葉のひとつに、「親ガチャ」があると思う。4、5年以上前のネットと比較すると、ここ数年は「実家が太い人が羨ましい」とか、「なんの苦労もしてないくせに文句を垂れるな」とか、そういう言葉を目にすることがとても多くなった。
この言葉はおそらく、円安や増税、会社員の給料が上がらないことなど様々な事情が絡み合って生まれた言葉だろう。

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ところで私は、人々が親ガチャという言葉を発するたびに胸が痛む。特に「ろくに苦労もしていなくせに」という言葉を聞くと胸が苦しくなってくることがある。
それは私がいわゆる「親ガチャに成功した人間」だからだと思う。

親ガチャなんて言葉を知る前から、私は両親に大切にされてきた自覚があった。たまに過保護すぎる時があり、それを友人に見られるのが恥ずかしいと思ったこともあった。そして私の両親は、私の夢や願いをお金を理由に否定したことが一度もなかった。
2、3年前からTwitterでこの言葉を耳にするようになったが、この言葉を知った時から私は「世間には自分の親が外れだと思っている人がいる」と胸に刻んでいる。

「親ガチャ」を知る前と後で、私の自分の人生への認識は大きく変わったと思う。
以前は、私は私自身を「中学受験もしたし大学受験もした。さらには留学もして真面目な人間だ」と認識していた。しかし、今は「中学校から私立に通うお嬢様で、さらにはお金のかかる留学さえした人間だ」という様に認識するようになった。
もちろん、私は私なりに努力をし続けてきた。間違いなく私は私に課せられたゴールを達成するために頑張ってきた。

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しかし、今の世間は私の努力を努力と呼んでくれるのだろうか?
大学に入学してから様々な立場の人と出会うようになった。私のように大学に通う学生だけではなく、専門学校に通う同級生やフリーターの若い子たちにも出会った。
皆が皆、それぞれの夢に向かって頑張っているけれど、私の目標は「親ガチャが当たりだったから成し遂げられること」のようだった。

大学に行って留学もしたなんていうと感心してくれる人も多いが、その言葉以上に私の心に留まったのは「お金持ちなんだね」という言葉だった。だから私は中学から女子校に行ったことや留学に行ったことを隠すようになった。
私は自分の両親に甘えていない。私だって周りと同じように頑張っている。そう思ってもらいたくて、最近は今まで以上にアルバイトに打ち込むようになった。
先週は初めて10連勤をした。寝不足のせいで少し胸の辺りに痛みを感じたけれど、甘ったれた人間じゃないと思いたくて、また周りにもそう思ってもらいたくて働いた。
やっていることは正直、とてつもなく馬鹿馬鹿しいけれど、それ以外に私が頑張って生きていることを証明する方法がわからない。

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この前はテレビで「経験はお金で買えない」と言った女性が非難されていた。皆、貧乏な家庭から這い上がってお金持ちになった人間の方が好きらしい。元々頑張れる土台が用意されていた人間は、Twitterでは叩くための格好の餌のようだ。
私のこんな葛藤もきっと、贅沢な悩みだね、と誰かに一蹴されるのだろう。