仕事をし始めて数年、あえてお金をかけて、わたしにとっての至福の時間を作り出すこと、わたし自身を休ませることの大切さを知った。

最近の私のブームは、美味しいコーヒー屋さんを探して、1杯にかけるお金と時間は出し惜しみをせずに、美味しいコーヒーを飲むこと。
美味しいコーヒーにかける想いは、昔お付き合いしていたパートナーが教えてくれた。
その彼はコーヒーがとても好きだから。
ハンドドリップデビューのために、誕生日に買ってあげたコーヒーグッズを今でも使ってくれているはず。
その彼とは別れてしまった今でも最高で最低な相談相手であって、私は、美味しくコーヒーが飲めるお店を見つけると、つい彼に情報共有してしまう。

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特に、ロースタリーが併設されているカフェが私のお気に入りで、ワイングラスに冷たいコーヒーを入れて提供してくれるお店ならハズレはないという仮説を考え始めたところだ。
コーヒーの香りとお店の雰囲気を楽しみながら、ゆっくり流れる時空に身を委ねながら、きちんと休む。
これは、今まで全速力で駆け抜けてきた私が、仕事を始めてから数年経ってやっとできるようになったことだ。

以前の私は、「今週末の都合はどう?会おうよ」と誘われると、週末の予定が空いていればその誘いに応じていた。
今では、たとえ、スケジュールが空いていても、「今週末は誰かに会うのではなく、私の時間をつくりたい」と思った時には、ためらわずに「ごめん、用事があって」と言えるようになった。
私がひとりの時間を自由に使って、身体と心を休めて、気の向くままに人に会ったり、家族と過ごしたり、美味しいコーヒー屋さんをひとりで開拓すること。
これも立派な用事だから。
毎週末誰かに会ったり、おしゃれなレストランで外食したり、デートしたりと、スマホのカレンダーが埋め尽くされていることも楽しかったけれど、特に用事もなく家でぼーっと過ごす時間を、意識的に作り出さない限り、豊かなサービスに溢れている現代社会に生きる私たちは、休むことができない気がする。

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高校のある同級生と久しぶりにお酒を一緒に飲んだ時、「最近休むことが大切になってきて」という話をすると、「ちゃんと休めるようになったんだね。よかった」と言われた。
私は高校生の頃から、「止まると死んでしまう回遊魚のマグロ」のように、自分を追い込んで、自分自身にプレッシャーをかけることで、最大限の成果を出しに行くタイプだった。プレッシャーに強く、むしろ周りに期待してもらうことで、実力がより発揮できるタイプ。
朝7時30分の開門と同時に登校し、生徒会の仕事をしてから、走って授業に向かい、放課後は部活に少し顔を出してから、生徒会室に行き、閉門のチャイムが鳴るまで居残る。
帰宅後も宿題と勉強に加えて、部活と生徒会のために働く、そんな生活だった。

いわゆるエスカレーターの高校で、つまり内部の試験に合格すれば、大学に進学でき、点数と成績次第で難関で人気の学部にも内部進学できた。
私は、高校からその付属校に入学したにも関わらず、大学では外部進学を選択した。
私と同じように外部進学を選んだ少数派かつ、努力家のその同級生いわく、私は「いつか立ち止まることが怖い。止まったら壊れてしまいそうだから、動き続ければずっと頑張れる気がする」と弱音を漏らしていたらしい。こんなことを言った記憶はないけれど、高校から大学卒業までの間は、ずっと全速力で駆け抜けてきた。

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毎日何かしらの予定がある日々を、To Doリストをこなす日々を、高校生から、つい1年ほど前まで続けてきた私は、たまに少しだけボロが出てしまうこともあったようだ。
私のヨーロッパ留学中、「今度早起きしなければいけない」とLINEで嘆く同級生に対して、「モーニングコールしてあげるよ」というノリを発揮し、日本時間の朝の8時に「おはよう!」と私は、突然電話をしたらしい。

突然の電話でたたき起こされた同級生は、私の良き理解者であり、「ちゃんと休めるようになったんだね」と言ってくれた人だ。
お酒を2~3杯飲んだくらいでは顔も赤くならない私は、きっとかなりお酒を飲んでいて、電話をかけたのだと思いたいけれど、お酒を飲んで電話をかけた記憶さえもどこかに飛んでいってしまった以上、きっと相当心細くて、ただひたすら頑張って突き進むことに限界を感じていたのかもしれない。

高校の同級生とそんな昔話をしながら、お互い東京生まれ東京育ちであるけれど、ひょんなことから、渋谷の超高層ビルの展望台に行くことにした。

渋谷スカイから、東京の夜景を見る。
あれほど騒がしい渋谷駅も、地上約230mからは静かに聞こえた。
何も話さずに、ただ静かに、空を見つめながら、都会の景色を見つめながら、きちんと立ち止まって、私はお休みできるようになったんだ。