私は、顔が小さいらしい。
私は、一重だけど目が大きいらしい。
私は、唇の形がいいらしい。

他人評価は、そこそこにいい、自分の顔。

でも、自分は自分の顔が嫌いだった。
誰に、不細工と言われたわけでもない。
誰に、可愛くないと言われたわけでもない。
だから余計に、「変えたい」と思うことが悪いように思えてしまうのだ。

自分だけが嫌いだった「自分」

22歳の夏、就職までの期間を使い、手術によって頬の脂肪をなくし、糸リフト、顎にヒアルロン酸を入れた。
当日はぱんぱんに顔が膨れ上がり、何を入れてもポロポロと力の入らない口から溢れでる。
二週間はまともに口を開けられず、喋ることも笑うことも大変だった。
それでも、私の心は解放された。

顔のコンプレックスの話、女子はよくするであろうと思う。
「鼻の高さが気になる」「もっと二重を幅広くしたい」などなど。
他の人がどうかは知らないが、私は「私は、俺は、君はそのままが一番可愛いと思う」と、何度も何度も何度も言われつづけた。「変えるほどじゃないじゃん」と。

正直、両親が小柄な私は骨格が小さいものだから、顔もとても小さい。だけど、顔の大小なんて、隣に誰かの顔をおかない限りわかりやしない。なので、毎日鏡で見る自分の顔なんて小顔どころか、丸く醜いものだった。

いくらダイエットをしたところで、いくらマッサージをしたところで、頬の肉は無くならなかった。笑った時に目の下で存在感を出してくる感じが嫌だった。
集合写真、証明写真、自撮り……せっかく素敵な大学時代を過ごしてきたはずなのに、逃げて逃げて逃げてきた。仕方なく入った写真、「チェックして!」と言われた自分の顔を見て「これでいい」と思ったことなんて一度もない。だから、なんでもいいよと言ってはなからチェックなんかしなくなった。文句を垂らしたところで「顔ちっさいから!!」と言われるのが毎度のこと、そういうことではないと思いながら謙遜の言葉を口にするのも辛すぎる。

手術をして、自分の顔に初めて向き合えた

美容整形外科でカウンセリングを受けに行った時にわかったことは、この顔の脂肪は痩せても減らないものだということ。もしかしたら、美容整形外科の戦略の煽りかもしれないが、痩せてもお腹がガリガリになっていく以外何もなく、通常の痩せ方な私にはもう煽りでもなんでもいいから鏡の前で気分が落ちる毎日から脱却させてくれとの思いの方が強かった。

手術から1ヶ月、入社して数日の私はデジカメの前に立っていた。
従業員カードの写真を撮るというのだ。
正直、心臓がひゅっと縮まった。
ここにいる人たちは、そんなこと知る由もないので、何食わぬ顔で写真を撮った。

数日後、事務員の方からカードが手渡された。
写真を撮った日は、寝坊寸前でほぼメイクをしておらず、無造作に髪を束ねただけだったけれど。デジカメで撮影された無加工の写真だったけれど。一枚しか撮らず、確認もしなかったけれど。それでも、自分の顔に正直に向き合えた。初めての経験だった。

他人と比べて、ではなく、自分に自信を持ちたい

美容整形は、今やエステのような位置付けだ。ただ、顔に関しては隠せず、完成形も数ヶ月後にしかわからない、未来を良くするための行動なのにいつの間にか心に不安が宿るものだ。親からもらった体を、なんて話もあるし、終わりが見えない整形沼にハマってしまう人だって少なくない。「可愛い、綺麗」は価値観である以上、基準を設けることは難しいし、ましてや世間や他人の評価を元にして終着点を見つけることについては最も難しいことだ、と私は思っている。それだけ、効果が大きく現れにくいエステなどとは異なった、様々な不安要素が詰まっているのが美容整形だと感じる。

この記事を読むコンプレックスや悩みを持つ人に、今私が思っていることをお伝えしたい。容姿に悩んでいる人以外にも当てはまることだ。
何にせよ、自分が自信を持って毎日の生活を送ることができればそれで十分で、その自信の根拠となる比較対象は、自分であり続けたい。もしその自信の要素に容姿があるならば、その比較対象だって自分でありたい。他人に何を言われようと、私のように自分だけが気になっていたとしても、「全ては自分のため」であることを心の隅の隅に置いておいてほしい。そして、自分を愛してほしい。