「この恋が永遠でないことを知っている。けれど感じることができるのは現在だけだ」

今年の夏のある日。
電車遅延で待ち合わせに遅れるという友人からの連絡をうけて、ふらっと時間つぶしに立ち寄った書店で見つけたこの言葉に、思わず心惹かれた。

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この言葉が帯に書いてあった本が、ソン・ウォンピョン著の「プリズム」だった。
韓国の作家さんの本は近頃気になってはいたものの、この著者の名前も、この本がどんな物語なのかさえも、全く知らなかった。
だけれど、帯に書かれたこの言葉が、私の胸に深く刺さった。
久しぶりに書店で偶然出会った本に心惹かれて、購入した。
読み始めてみると、男女4人の揺れ動く感情の移り変わりを繊細にとらえた「大人の恋の物語」だった。
愛の始まりと同じように、もしくはそれ以上に、愛の終わり方について丁寧に描かれている作品だった。
この本を締めくくる最後のページにあった言葉をぜひ紹介させてほしい。

「美しくても傷ついても、つらくても後悔しても、愛は止められない。愛に属性があるとしたら、始まりがあり終わりがあるということ。燃えあがってやがて消えるということ。そしてまた別の顔で始まるということ。その果てしないサイクルを、生きている限りずっと繰り返すということ」

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この本を読み終わった後、私は、捨てられずにいた大恋愛の思い出の品々を、好きなのに別れた大人な恋愛の思い出の手紙を、ハサミで切り刻んですべて捨てた。
過去の恋愛の写真は躊躇することなく削除できるのに。
人の想いが詰まった、お金では買えないものを捨てることには少し勇気が必要だったりする。
過去の恋愛相手から、今までにもらった手紙は単行本数冊分の厚さになり、きらびやかなクリスマスカードや誕生日カードは、皮肉にも頑丈な厚紙で出来ているから、簡単には切ることができなかった。
まるで過ごした年月と、育てた愛が重さと厚みでのしかかってくるかのように、切り刻むハサミの動きは遅くなってしまった。
ゴミ袋の中にたまる細かくなったカード類や写真、手紙を見つめながら、袋に水と洗剤を入れて、想い出がきちんと溶けてなくなるようにする。
水に色が染みだしていく様子を見ながら、私の心はなぜかとてもすっきりしていた。
なぜか微笑んでしまった。
これからは楽しく生きようと。
心のゆくままに、素直に生きようと。

両親からは親不孝だと、冷たいと思われることもあるのかもしれない。
だけれど、私の姉が孫を産んでくれた以上、姉が絵に描くような家庭を義兄と築いてくれている以上、妹の私は、少しばかり自由の身であることを満喫したい。
「結婚して親に孫の顔を見せる」という役目はもちろんまだ残っているとは思うけれど、「結婚して出産して子育て」が必ずしも人生の理想像であるとは思っていない私は、「申し訳ないけど、自由に生きさせてもらうわ」くらいのスタンスで、「一緒に過ごしてくれるパートナーがいれば、別に結婚しなくてもいいじゃん」を口癖に、少しくらい両親を悩ませておこうと思う。

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なぜなら、結婚しかけた3年間の国際恋愛とその前後の恋愛から、どんな恋だって、愛だって、終わりがあることを前提に相手を好きになれたらいいと思ったから。
国際恋愛は、言語の壁や国・文化の違いが原因で難しかったとは思わなかった。
気持ちの行き違いがあると、国際恋愛では言語の壁や文化の違いを理由にしてしまいがちだけれど、同じ国籍、同じ国で生まれ育った2人であっても、所詮赤の他人であり、血のつながらない赤の他人同士が、生涯を共にしようと思えること自体奇跡だということを学んだ。
年齢や恋愛経験とともに偶然や運を信じるようになった。
人と人との出会いも、ただの偶然。
全ての事象には何らかの理由があって、未来につながっている気がする。
恋愛感情のない身体だけの関係も経験したし、身体の浮気もした。心の浮気をされたこともあった。
別れた恋人とは一切の連絡をとらず、未練も残さず、過去の恋愛は上書き保存というスタンスでいたけれど、今の私は付き合った恋人と別れた後も、最高で最低な相談相手で居続けて、一生の友人でいる術も学んだ。

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こんなことを考えることは、かなり悲観的に見えるのかもしれないけれど、どんな幸せの絶頂にいる時にも、「やがて終わりは来るだろう」と思いながら、ただ「この恋の儚さと愛を感じられるのは今だけ」と一瞬一瞬を大切にしながら過ごしたい。
そう思えば、相手への必要以上の執着を生むこともなく、この関係の終わりが遥か遠くにあると願って、毎日を楽しく過ごせる気がする。