私はいわゆるアダルトチルドレンだ。
毎日がものすごく不幸のどん底かと言われたら、決してそんなことはない。でも、いつもなんとなく生きづらい。友達だっているけれど、新しい人間関係をうまく築くことは至難の技だし、自分だけいつもなんとなく浮いているような気がする。
◎ ◎
自分には何か根本的に抱えている問題があるのかもしれない、と気づいたのは、大学を卒業してからだ。
近い関係になったひと――多くの場合恋人だった――と、心地よい関係を続けることがなぜかできない。相手にものすごく執着したり、それが嫌になって突き放したり、自分でもどうしたらいいのかわからないけれど、めちゃくちゃな行動で相手も自分も傷つける。
そんなことが何度か繰り返されたとき、何かがおかしいと思った。
心理学系のブログや本を読み漁った。カウンセリングも受けた。その過程で、特別診断を受けたり何かしたりしたわけではないけれど、自分はアダルトチルドレンなのではないかと思うようになった。
アダルトチルドレンの概念は、1970年代にアメリカで提唱され始めたという。アルコール依存症の親を持つ子どもたちが大人になった時、対人関係の問題や生きづらさに悩み苦しんでいる人が多くいることがわかってきたのだ。
彼らの特徴は、「相手の評価に過敏になり、自分に自信が持てない」「自分の存在価値を確認できず、酒やドラッグ、仕事などに溺れてしまう」「対人関係がうまくいかず居場所のなさ、生きづらさを感じる」というもの。
さらに見ていくと、「自分の考えや行動が『これでいい』と確信が持てない」「物事を最初から最後までやり遂げうることが困難」「楽しむことができない」「真面目すぎる」「親密な関係を持つことが大変難しい」「常に他人からの肯定や受け入れを求めている」「「自分は人とは違うといつも感じている」「常に責任を取りすぎるか、責任を取らなさすぎるかである」「衝動的である」……などといった項目が並ぶ。
アダルトチルドレンの特徴を説明している本に初めて出会った時、私は驚愕した。
どうして私のことが書いてあるのだろう!
◎ ◎
少しずつ少しずつ、時間をかけて、私は自分がなぜこういった傾向を持つようになっていったのか理解しようとした。
私の両親は彼らなりに私を愛してくれていたし、今も愛されているし、大好きなところももちろんある家族だけれど、私の家族はいわゆる機能不全家族だったのだということ。その中で育った私は、子ども時代にしっかりと子どもでいることが許されず、大人に求められる「いい子」を演じてきたのだということ。
つまり私は、ずっと、「ダメダメな自分」を隠して生きてきたのだ。だって、ダメダメな自分は愛される価値がないと思い込んでしまう環境にいたから。
最近読んだ本では、次のようなことを学んだ。
私のような人には、一人でも二人でも、自分を欠点ごと受け入れてくれる、信頼できる他人が必要なのだそうだ。すると、そのような他人が存在する「世界」そのものを信頼し、世界とのつながりを感じ、世界は怖くない、自分は世界と繋がっており、一人ではない、と感じることができる。最終的に、そのような他人と世界の存在を拠り所にし、「自分は自分であって大丈夫」という自分自身への信頼を抱くことができる。そうすると、生きづらさは少しずつ解消されてゆくそうだ。
◎ ◎
幸運なことに、今の私には「ダメダメな自分」を丸ごと受け入れてくれる人がいる。
28年もの間ひた隠しにし、否定してきたダメダメな自分を、そのまま受け入れてくれる人がいるということを心の底から理解するのはなかなか困難な技だ。でも私は、自分が自分らしく安心していられる場所で、肩の力を抜いて、楽しく生きていきたい。
長い間染み付いてしまった考え方や感じ方の癖を解きほどいてゆくのには、かなりの時間がかかるだろう。でも私は、自分で自分を幸せにすると決めた。その挑戦は、まだ始まったばかりである。