私は、休むことが苦手だ。常に何かを頑張っていたいし、焦燥感と緊張感に苛まれながら目標へ向かって猪突猛進できる自分でないと、許せなかった。だけれど、120%の出力でフル稼働するエンジンは持続不可能で短命だ。

猪突猛進な数か月を経て、私はベッドから起き上がることすらできなくなった。大好きだった勉強に取り組もうとしても、文字を認識することができない。愛用していた参考書は解読不能な暗号の羅列に成り下がり、何もしていなくとも視界はぐにゃぐにゃといびつに歪む。ガソリン切れどころか、私のエンジンは故障してしまったらしい。

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私に必要なのは、「休むことを頑張る力」だったのだと、今では思う。「頑張る」のでは休養にならないのではないか?と葛藤するときもあったけれど、私にとっての「休む」は、頑張らなければ向き合えないほどに苦手な取り組みなのだ。

6月の発病をきっかけに、人生を暫し休業することにした。
休業生活も、もうすぐ5か月め。病状が重かった時期こそベッドから一歩も動けないような生活だったものの、多少の身体活動ができるようになってきた最近はようやく自分なりの休み方がわかってきた。

私は、「何もしていない」という状態が苦手なのだ。自分の中に、「休む=何もしない」という固定観念があることに気付いた。休むからといって、何かをすることがダメなわけじゃない。それに気付いてからは、「休む」ことに対するハードルがぐんと下がったように思う。

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「何かをしながら休もう」と決めた私は、休息が必要なときに実行する「ちゃんと休めるけど、なんかしらやる」リストを持つことにした。リストインの条件は、心身に対してはやさしくて低ストレスだけれど達成感や充足感が同時に得られること。その中でも最近取り組んでいるいくつかの「休み方」を紹介したい。

たとえばこのエッセイを書くことも、私にとっては「休む」取り組みだ。文章を書くことは、何かを生み出したという達成感と充実感をもたらしつつも、からだを休め、こころを穏やかにしてくれる。

そして大好きなアイドルの動画を眺める時間も、リラックスしたり笑ったりと心身に良い影響を受けつつ、好きな人たちに対する感情を思考するという副産物を生んでくれる私流の「休み方」だ。

私なりの「休み方」を模索するなかで特に有意義だったのはこの2つだけれど、アイドルの動画ではなくアニメを観たり漫画を読んだり、音楽を聴く、といった過ごし方もよくしている。実写のドラマや映画は感情移入をしすぎて疲れてしまうことがあるものの、アニメや漫画は疲労感なく楽しむことができた。

また、買い物には行けないけどウィンドウショッピングがしたい!なんて気分の時は、好きな洋服や雑貨のオンラインショップを流し見して、かわいいと思ったものをひたすらカートに入れるだけ、という過ごし方もした。カートに入れた中から1、2個本当に欲しいものを吟味して購入するのもまた一興で、これまた楽しく「休む」ことができたと思う。

「自分なりの休み方で、自分の心身を労わる」ことは、「自分を大切にすること」とイコールだ。猪突猛進に頑張りたい時でも、頑張るためにはガソリンが要る。そしてそのガソリンを使うためには、壊れていないエンジンを持っていることが肝心。頑張るためには、しっかり休むことが必要なのだ。自分を大切にしているからこそ、頑張れる。「目標へ向かって頑張るために、ちゃんと休める」自分のことを、今の私は許せている。

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もしも、病気にならなければ。毎日頭のなかで薄らと漂っているその感情は、ポジティブなものではない。だけれど、心と身体が警鐘を鳴らしてくれたからこそ気付けた大切な自分が今、ここにいる。

私は、自分が大切だ。このエッセイを読んでくれたあなたにも、自分の心身をいちばん大切にしてほしい。だから今日も私なりの休み方で、あなたなりの休み方で。こころをぎゅっと、ハグしてあげよう。休み上手なあなたも、休むことが得意じゃないひとも、休めてえらい!!!
あなたの過ごす「お休み」が、どうか心地よいものでありますように。