歌手になりたいと言った人がいる。
アルバイトの先輩で、一歳上の男の人。
「すごいですね!応援してます!」
去年の10月、私はその先輩にそう言ってエールを送った。先輩は照れながらも、笑って「頑張るわ!」とファイティングポーズを見せてくれた。その真っ直ぐに夢を追いかける姿はキラキラしていて、眩しすぎるくらいだった。

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それから3ヶ月後、先輩は私たち後輩を連れてカラオケボックスで歌を聴かせてくれた。
曲はSUPER BEAVERの『人として』。
私たちは全員、先輩の歌声に釘付けになり、涙を流した。みんな誰かの歌で涙を流したのは初めてだった。そして、歌が上手いとか、圧倒されたとか、それだけでなく、真剣な人のかっこよさを目の前に見た時はこんなにも目が離せなくなるものかと思った。

それからまた3ヶ月後、私は就職活動で滅入っていた。何社も受けてやっと内定を貰っても、それでも気持ちは上がらないままだった。
その気持ちを母に話した時、「やりたいことと違うの?」と言われた。私は「やりたいことが現実的じゃないから就活してるの」と答えた。
本当は、私は中学生の時から小説家になりたかった。自分の思い描く世界観を文章にしたいと思っていた。だけど、現実は正社員を目指す就活生。人と違うことをするのは怖いし、もし上手くいかなかったらと考えたら、とてもじゃないけど踏み出せることではない。そうやって自分で決めたはずなのに正社員になることが現実味を帯びると、理想とのギャップに辛くなる。
母は「行きたくないところに行く必要はない」と言った。

それから1ヶ月、内定承諾期間で、どうにか納得のいく決断をしようと考え続けた。そんな時、先輩の凄さが改めて分かった。先輩は全てに覚悟を決めて歌手になることを目指している。今自分が夢見ているものは、将来の自分の姿だと確信している。そして、そんな人の放つ輝きが自分にはないと悟った。

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それから数日後、内定先の企業に電話をした。内容は内定辞退について。
自分には夢を追う覚悟がないと悟ってから、覚悟を決めようという気持ちになった。勇気を出して辞退の電話をしてからは、吹っ切れたように物事を進められた。

まずは、ブログを立ち上げた。
こうしてエッセイを投稿し始めた。
毎日文章を書いて、新人向けの公募にも作品を応募した。
将来への不安よりも目先のペンに集中できる。もちろん、不安や悩みや迷いがないわけではない。
私が周りからどう思われているか、世間体を考えれば心配する人もいるだろう。そんなことを思うと、私だって、これで良かったのかと考えてしまうことがある。でも、少なくとも私が先輩を応援したように仲の良い友達は応援してくれている。先輩も「仲間やな!」と言ってくれた。

だから前を向いていられる。
あの日の先輩の歌が私の背中を押して、勇気を持たせてくれたように、私も誰かの背中を押すことができるのなら、私の書いた文章が誰かの心に響かせることができるのなら、ずっと先を行く先輩にこのエッセイを見せたいと思う。

今月、先輩はアルバイトを辞めて上京する。