心がしんどくなったら、休業中の看板を出して、休めばいい。そして、いつか分からないけれど、気が向いたらまた営業を再開すればいいの。
ファッション雑誌の最後のほうのコラムで、1年以上前に見た文章は概ねこのような感じだっただろうか。何の雑誌だったかさえも覚えてないけれど、この考え方がストン、と入ってきた感覚はよく覚えている。

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私は今まで見たことのない景色が見たくて、色んな場所へ出掛け、色んな人と会い、色んな経験をしようと仕事帰りや休日の時間も休まず活動をしていることが多かった。
「色んな人」のなかには、同性も異性も年下も年上もいる。そして、私に対して恋愛感情を抱いている人も数人いる。その視線に気づかないふりをして、色んな景色を見ている。「ね、あんまりいいことじゃないでしょ」と言って許された気になるつもりもない。

勿論、1人で出かけることもあるが、誰かに招待をしてもらったり、連れて行ってもらったりすることの方がどちらかと言うと多い。車も持っていないし、そうしないと見られない景色もあるのだ。
高層マンションの大きな窓から見える夜景、初めて行く県の歴史的建造物、辺り一面の花畑……。

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そんなこともあって、若いうちにしかできないと予定を限りなく詰めて、毎週どこかへ出かける準備をする度に、「これって本当に私は幸せなのだろうか」「私は何を得てるんだろう」という疑問が蓄積していった。
今まで見たことのなかった景色を見て、交友関係や経験も確実に得ているはずなのに、一方で何かを失っているような……いや、手にしたものがそのまま指と指の隙間から擦り抜けていくような気がした。

止めたほうがいいんだろうなあ、と思いながらもやっぱり予定を入れる。もはや「仕事」のような感覚に近く、義務感とも言えるものに駆られて、誘いは断らないこと、どうしても日にちが被ってしまった断った誘いは必ずリスケをすることを徹底していたら、どんどん予定が入っていくのだ。
加えて、出かければ大体それなりに楽しく幸せに過ごせたし、多くの人の考え方に触れることで失恋の痛みや仕事でのストレスが和らいでいたのも事実だった。
止めるとなると、今までの自分を否定してるみたいで嫌だし、自分のためにやっていることを止めたくはない。SNSや女子会のネタにもなるしなあ……。

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「そんな特に好きでもない、仲良くなりたいわけでもない人と出かけて楽しいかね?」と、毎週誰かと出かける娘に母は問う。
「隣が誰でも景色は景色だし、経験は経験だよ!楽しいし幸せよ」。いつかの心から言った答えに「本当に?」と自問し始めた頃、冒頭で書いた考え方に出会った。

「休む」という行為はとてもポジティブな行為だと思う。まず、疲れた体や心を休ませて癒やす。そして、次動き出す「いつか」のために仕込みをする。

私は今まさに「休業中」の看板を出して、お休みをしている。「今はあんまり色んな人とお出かけしてないよ!周期的にお休みの時期なのかも」と女子会でも伝えて、友達の話をニコニコ聞く側に徹している。休日は家でのんびり過ごしたり、友達と遊んだり買い物をしたり……。体も心も休ませながらも、夜の美容は手を抜かない。新しいお店や話題の場所、ワインの知識も欠かさず仕入れる。

私はやっぱり、この目とこの耳で色んな物事を見聞きしたい。世の中の綺麗なものも、綺麗ではないものもできるだけ多くこの身で感じたいから、いつか私はまた活動を再開する。
その日のために、今はゆっくり休みつつ、爪を研ぐ。