同棲していた知人の作った料理が、たまにとても恋しくなるときがある。
うどんや炒飯、煮物に卵焼き。エリンギのバター炒めや餃子など、色んなものを作ってくれた知人であるが、彼が作る料理の中で、炙りサーモン丼というものが一番好きだった。
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私は生魚がとことん嫌いな人間である。
それでいて知人は釣りをするのも捌くのも得意な人間で、魚を釣っては刺身にしたり、お寿司や丼やらを作って食べていたという。
そんなところへ私が転がり込んでしまったから、知人は生魚を食べるのをやめて、煮るなり焼くなり炙るなりした魚の料理を作ってくれるようになった。
お茶碗に好きな分だけご飯を盛って、知人に渡す。そうしたら釣って捌いたサーモンを乗せて、仕上げにマヨネーズをかけて、バーナーでじっくり炙ってくれるのだ。知人が食べる分は軽くしか炙らないけれど、私の分は本当にじっくり炙ってくれるのである。
私の家は、あまり料理をする人がいなかった。私自身料理は面倒だから大嫌いだし、母もお惣菜やインスタントや冷凍食品を活用した食事を出してくる。それが嫌なわけではなかったけれど、初めて私のために料理を作ってくれたことが嬉しくて、知人のことが大好きで大好きで仕方なかった。
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確か、最後に一緒に食べたのは白菜と豚肉のミルフィーユ鍋だったと思う。それを食べつつ白ワインを飲んで、好きな本について語り合った。
そのあと、もうだめだな、と思い、荷物をまとめて知人宅を去った。なぜもうだめだと思ったかは長くなるから別の機会に譲るとして、私はこうして永遠に知人の手料理を食べることができなくなった。できなくした。
そのときは、知人の手料理がこんなにも恋しくなるなんて、思っていなかった。
しばらくは、知人本人についての感傷で少し心が痛んでも、料理については思い出すことは無かった。
知人の手料理の嬉しさ有り難さ、美味しさを思い出すようになったのは、ここ数ヶ月のことである。
上京して、私に料理を作ってくれる人が本当にいなくなって、そういえば知人はたくさん私に料理を作ってくれたな、と思い出した。そして、手料理は愛である、と思った。
メニューを考えて、材料を揃えて、調理して盛り付ける。
その全ては、相手を思わずにはできない行為だと強く思った。愛無くしては、到底できないことである。
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なのに、あのときの私はそのことにちゃんと気付けていなかった。今になってようやく気付くだなんて、愚かである。
我慢して我慢して、辛くなったから知人の家を出た。でも本当に我慢をしていたのは、知人の方である。優しい知人の恩に、私は甘えすぎていた。
もう会えない知人に、あらためて感謝する。
秋の夜に知人が作ってくれたのより美味しくない炒飯を作りながら、知人を思う。
あの人は元気にしているだろうか。また誰かに手料理を振る舞っているのだろうか。悲しいけれど、ほんの一瞬でも、知人の料理を振る舞ってもらえる対象になれて、嬉しかった。