後輩が休職した。明言されてはいないが、業務上の精神的ストレスが原因だろう。
この職場でできた、初めての直属の後輩だった。事務所での席はすぐ隣だったし、何度も営業同行したし、営業だけでなく事務的な業務まで含め、色んな分野の仕事を引き継ぐつもりだった。あれこれと関わった分、思い入れも後悔も大きい。

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ストレスの原因は何だろう……と思い巡らすまでもなく、彼女の置かれた環境はストレスだらけだった。
憧れの業界にウキウキと転職したものの、万年人手不足の会社都合により急遽配置転換。彼女のこれまでの経験や個性に適しているとは言い難い業務内容が申し付けられた。扱わなければならない金額も、彼女のこれまでのキャリアからすれば不適当なほどに大きかった。
当初の希望や描いていたイメージとのギャップ、慣れない環境で突如降ってきた重責、将来自分がちゃんと「やれている」かの展望の見えなさ。
正直、彼女の抱えていた不安は、人よりもよくわかるつもりだ。私も転職してきて、急な配置転換の憂き目に遭ったり、突然テレワークやコロナ禍の社会不安に放り込まれたりして、非常によく似たストレスに喘ぎ、「もうダメかも」と思ったことがあるから。
それなのに私が彼女の助けにならなかったのは、私が「善良」な人間ではなかったからかなあ、と、ぼんやり考えている。

先日同僚と話していて、
「○○さんはメンタルが強いよね」
と言われた。メンタルしなしな人間を自認していたので驚いた。
同僚いわく、私にはある程度開き直れる強さがあるらしい。後輩にはそれが無かった。後輩は善良で真面目で、思い詰めすぎる人だった。他人から向けられる言葉を切り捨てることができず、全部受け止めてしまったのではないかと。

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その会話の中で思い出したのが、私と後輩と先輩、そして取引先の人との飲み会でのこと。
私と後輩は20代の女で、先輩と取引先の人は40代の男。
ジェネレーションのせいだけではなく、大きなギャップの生じやすい組み合わせである。
案の定、男性陣はアイスブレイクのつもりで、セクハラ弄りネタを軽く話してきた。仲良くなるために、下ネタ的な話題も必要じゃないか、とか。短いスカート履いてる女子高生は、撮られても触られてもOKってことでしょ?とか。
私は(アルコールの勢いも借りてではあるけれど)、
「あー無理です無理」
「キモいキモい」
「いやーまじで死んでほしいですね。本当に死んでほしい」
など、失礼な発言を笑顔にくるんで連射することでその場を乗り切った。
後輩は硬い顔で、
「本当にセクハラになりますよ」
と言っていた。
彼女は(恐らく)女子校育ちで男性への免疫自体あまりなさそうで、しかも社歴も新人で、会社に大した義理もないのに、こんなしょうもない会話に参加しなくてはいけなくて本当にかわいそうだった。

この一幕について同僚に話したら、そこで「死ね」と言えるのが私で、言えないのが後輩だと言った。
確かにその違いはあるかもしれない。しかし、私の振る舞いが本当に正しかったのか、私にはわからない。
あそこで「死ね」を冗談口調で言い放ち、その場を笑いの方向に持って行こうとした私こそ卑怯で弱く、弱々しくも正論を口にした彼女の方が本当に強いのかもしれなかった。
彼女があの飲み会のストレスだけで休職したとは到底思わないが、彼女の置かれた状況をある意味象徴するような事件だったように思う。
やってられるか、ふざけんな、私のせいじゃない、気に入らないやつみんな死ね。そうやって開き直れない人にとって、仕事というのは時々とんでもなく重いし、社会はとんでもなくつらい。

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社会は部分的に良くなっていっているのだろうが、私にとってはまだかなりの部分が地獄的である。この地獄をなんとかサバイブするには、私のように程良く適当で、こずるくて、他責思考な方が好都合なのかもしれない。
とは言え、私が全く無責任で無傷な生き方をしているように上司や同僚から言われると、それはそれでムカつくのだ。まるで、お前は楽して生きてるよな、楽でいいよなと言われているようで。こっちだって、生きるのに必死でそうなっているのだから。
どいつもこいつもムカつくことばかり。いつかこの世間を悠々と泳ぎ渡っていけるように、後輩の分も悪態をつきながら、私は今日も適当に働いている。