「恋に溺れる」なんて言葉がある。
でも、私にとっては不可解な言葉だった。本当に恋をするまでは。

恋に落ちて、他のことが手につかなくなる。恋に溺れてお金をつぎ込んでしまう。恋をして、自身を見失う人の話を聞くたびにおかしな話だと思っていた。人なのに理性ではなく本能で生きている。人であって人でないみたいだ。
私はそんなことありえないと思った。だって今までお付き合いした人は何人かいたけれど、自身を見失ったことはない。付き合った人たちとは3年ほどで別れてしまったが、相手のことは好きだったし、デートだって何度もした。でも、他のことが手につかなくなることも、お金をつぎ込んでしまうこともなかった。
だって私は人間だから。そんな理性を失った行動を取ることなんてない。だから分からなかった。恋に溺れる感覚を。

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でも10年前出会ってしまった。初めて恋をしたのだ。
付き合いをした経験があったため、自分では付き合うイコール恋をしていると思い込んでいた。でも違った。彼と出会って、恋というものを知ったのだ。

彼は私に直球で愛の言葉を投げかける。照れくさいが嫌な気はしなかった。遠距離恋愛だったこともあり、メールのやりとりが多かったが、彼への思いは日に日に大きくなっていった。
大学の講義中も携帯が気になって仕方なかった。休み時間になるたびにメッセージが届いていないかを確認した。メッセージが届いていないとため息をついてしまう。メッセージが届いていると1人ニヤニヤしてしまう。メール1つで一喜一憂していた。

そして、恋に落ちている時は恋に落ちていることに気づかないことを知った。
暴言を吐かれても、お金を貸せと言われても、彼のことが好きで好きでたまらなかったから我慢したし、お金だって貸した。私は倹約家でほとんど貯金に回していたバイト代だって、銀行へ行ってわざわざ引きだしたのだ。10万円も。
泣くことだってほとんどなかった私だったのに、1人で何度も泣いたし、人前でなんか泣くことないと強く心に決めていたのに、彼の前ではボロボロ泣いてしまった。恋に落ちることや恋に溺れることを不可解だ、理性がないと考えていた私はいなくなっていた。

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今考えてみると、恐ろしいと思う面もある。
でも、それだけ私は彼に恋をしていたのだ。
恋に溺れていたと気づいたのは別れてからだったが、彼と別れてから、恋というものに気づき、人を心から愛する事を学んだ。
また、別れたことによって、彼が劇的に成長した。
私と付き合っていた頃はだらしなく、彼は、社会人なのに学生の私にお金を借りるような人だった。暴言だって平気で吐いて、私を押し倒そうとしたのに、いつの間にか経営者・社長になり、気遣う言葉ばかりを口にするようになった。自分のお母さんや妹や弟のためにお金を送ったり物を買ってあげたりしていた。まるで別人のようだった。

どうしてそこまで変わったのかと問うと、彼は言った。
「今までやったことや言ったことは変えられない。もう終わってしまったことだからどうにもならない。だから今までしてしまったことを背負って、今からは返す時なんだ。そうやって気づけたのも、わかに恋したからかな」
なんだか仏様が舞い降りたような言葉で驚いた。

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恋は偉大だ。恋することで人は大きく変わる。よくなるか悪くなるかは人それぞれ違うが、恋することで、視野が、考え方が、そして人生が広がり豊かになると痛感した。
付き合ったから恋をしたのではない。付き合ってないから恋をしていないわけでもない。
付き合う付き合わない関係なく恋はできるもの。
きっと恋をすることでいつもの自分ではない自分と出会い、何か新しい発見ができるはずだ。
恋せよ乙女!