2022年、春。私は、1年間通った専門学校を中退した。なんの前触れもなく「学校を辞めます」と宣言した私に、涙ぐんでくれた先生の顔は今も忘れない。いつも冷静沈着で時には厳しい言葉をくれた彼は、生徒思いな先生だった。

高校を卒業し、はっきりとした目標を持って入学したその専門学校で過ごした1年間は、小中高と不登校を経験した私にとってほとんど初めての“学生生活”だった。
「週5で朝から毎日登校する」という経験は高2以来。そして、「1年間継続して登校すること」ができたのはその専門学校が初めてだった。
酸いも甘いもぎゅっと濃縮された、とても鮮烈な1年間。親元を離れて一人暮らしを経験したのも初めてだった。

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実習の授業が大半を占めるその学科では、毎日が体力勝負だ。元々体力はないし持病もある。だけれど、叶えたい野望だってある。私はいつもギリギリだった。
単位を落として特別補講を受けることもあったが、負けず嫌いの底力でなんとかクリア。通常授業に加えて資格取得の為に追加講義を受けたり、オープンキャンパスのスタッフを務めたり、休日も返上して学生生活に明け暮れていた。「知らなかったことを知る」毎日は、私にとってすごく刺激的で楽しいものだったのだ。
外部の方を呼んで行う学内イベントではリーダー的なポジションを担うなど、今までにない経験もできた。私は、その場所で自分にできる最大限の挑戦をしていたと思う。

一方、一人暮らしの生活は荒んだもので、身の回りのことは最低限しかできていなかった。
座って食事をする時間すら惜しい、と感じるほど余裕がなかったことは反省点だが、睡眠時間をなるべく確保するために、キッチンで立ち食い朝食をかましていた私は大健闘だ。
今にも倒れてしまいそうなスレスレの生活でも、描いた目標のために突っ走れる自分が、私は嬉しかった。

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学校の授業、授業外の活動、アルバイト、一人暮らし。全てが新鮮でつらくてしんどくて、楽しかった。知らなかった土地を知りゆく1年間はあっという間に、人生史上最速で過ぎ去る。
1年生の後期、私は周囲より一足先に就職活動を始めた。向き合うのはまた、新しい世界。履歴書を前に自己分析を深め、自己PRを考える。勇んで面接へ向かい、手応えを感じた。
在学中からアルバイトとして雇ってもらい、卒業後正社員として就職するルートが浮上する。その時、ずっと目を逸らし続けてきた違和感のかたまりと思いっきり正面衝突した。

「あれ?私が本当にやりたかったことは、なりたいものは、これだったっけ?」
——私は、妥協をしていたのだ。その妥協を自分にとっての「正解」にするために、必死な毎日を送っていた。気づいてしまえばもう戻れない。私がなりたいものは、違う。私がいたい場所は、ここではない。
私が学びたいことは、言葉について。自分の言葉を操り、文章を書くということについて。10歳で初めて小説を書いた、あの日からずっと、今の今まで変わらない。誰にも言えなかった密かな野望が、ハッキリとその姿を現し、夢以上に明確な目標となった。

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私は、専門学校を辞めることにした。もう一度、自分自身と向き合うために。もう、逃げないために。
学校を辞めるという選択自体も逃げだったのかもしれない。だけれど、そのくらいの覚悟をもって挑まなければ、私はきっと逃げ続けてしまう。今持っている全てを捨てなければ、あの夢と、大きすぎる目標と、向き合うことはできない。
そう思えたのは何より、1年間がむしゃらに頑張り続けた日々のおかげだった。あの1年が、私を再び夢に向かわせる勇気をくれたのだ。

学校を辞めると決断してからは早いもので、退学に関するやり取りはすぐに決着がついた。「どうして相談してくれなかったの?」と私を叱ってくれた先生の言葉に、私は1年間ずっとひとりで葛藤していたのかとハッとした。
私はあの学校が好きだったし、2年生になってからの展望もあった。中退という選択が正しかったとは、一度も思ったことがない。正しかったと思えるかどうかは、今とこれから先の私にかかっているから。

散々泣きながら夢を語ったあと、「頑張ります」と先生に背を向けたあの日の自分を、私はいつか誇れるだろうか。いや、絶対に誇ってみせます。そんな決意と共に、忘れたくない「退学記念日」を思い出す。
学校の裏手で最後に撮った、門出の写真。満開の桜の木の下で、私はたくましく笑っていた。