何事も、「距離感」というのは大事だ。
自分の心を守っていくために。
家族との距離感。
恋愛との距離感。
そして、仕事との距離感。
何を隠そう、私も仕事との距離感をうまく取りきれず、心を壊してしまった経験がある。

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前職でウェディングプランナーをしていた頃。
世間の「大変そう」というイメージそのままに、それはそれは忙しい日々で、終電まで残業は当たり前、自分のお客様の対応が入れば休日返上で出勤することもしばしばだった。
業務量や勤務時間的な大変さだけなら、心を壊すまでのことにはならなかったのかもしれないが、一番大変だったのは、ひとりひとりの責任の重さだった。

ひとりひとりのプランナーが同時に何十組のお客様を担当し、当たり前だがそのすべてのお客様にとって、一生に一度の結婚式。
絶対に、絶対に失敗や、失念は許されない。
そして、膨大な量の商品、人員配置、当日のプランを把握しているのはすべて、自分ひとりだけ。
他の誰かがひとりでも同時に把握してくれていれば、気の持ちようも違ったのかもしれないが、自分がひとつでも忘れていたら終わり、自分が体調を崩したら終わり、というプレッシャーが日々重くのしかかり、休みの日も、仕事のことが頭から離れなかった。

思えば、長く働いている人は、同じ仕事をしていても、休みの日はきっぱり切り替えて、仕事の連絡も見ない。緊急事態があれば休みでも出勤するが、それ以外は出勤の日にやればいい、というスタンスの人が多かった。
時間は取られても、頭の中までは仕事に支配されてしまわないように、うまく自分でコントロールしていたのだと思う。

私は、心配性で、無駄に完璧主義な性格もあり、うまく割り切って切り替えることができなかった。
その結果、私は適応障害という心の病気になった。

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朝、目が覚めると身体が重く、頭は起きているのに布団から起き上がれない。
無理やり起きて家を出ても、体調が優れず電車を途中下車することになってしまったり、会社の朝礼に参加できなかったり。
仕事を始めると、そんなことも考えていられないほどの勢いで時間が流れ、必死で業務を処理しているうちに1日が終わるのだが、帰宅して寝ようとすると、翌日の仕事が不安でなかなか寝付けない。
「なにか忘れていることはないか」
「明日やらなければいけないことはなにか」
「明日までにやらないといけない業務がこんなにあって、果たして本当に終わらせられるのか」
そんなことをぐるぐる考え始めると、布団に入ってから1~2時間寝付けないことも多かった。
あまりにも不調が続いたため、心療内科を受診し、「適応障害」という名前の「抑うつ状態」だと診断された。

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今は、その職場を休職したのち退職し、別の仕事に就きながら、体調も徐々に安定してきているが、「あのとき、限界がくる前に、もっとうまく自分が仕事との距離感を取れていたら、あんなにしんどくなってしまうこともなかったかもしれない。今もあの仕事を続けていたかもしれない」と思うことがある。
大変な仕事だったが、大好きな仕事で、大好きな職場でもあったから。

でも、自分にとってちょうどいい「距離感」を見つけることは、簡単ではない。
距離を取った方がいいとわかっていながらも、そうはいかないこともある。
休みたいと思っていても、働かないと生活できないし、家族と少し距離を置いた方がうまくいくと思っていても、家を出られないこともある。

自分にとっての心地いい距離感なんて、探すものじゃないし、見つけられてもその通りにできるものじゃない、という諦めが無意識のうちに染みついて、無理をすること、我慢をすることが当たり前になっていく。

本当はすごくつらいのに、「みんなつらいんだから」という見えない世間の声に睨まれて、「つらい」と主張することはいけないことだと思うようになっていく。
そしてそのうち、自分でも「本当につらい」のか「ただの甘え」なのかがわからなくなって、気づかないうちに自分の心が壊れる距離まで、近づいてしまう。

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結局は、「ちょうどいい距離感」は人によって違う、ということを知って、素直に見つめるしかないのかもな、と思う。
「あの人にはできてるのに、自分ができないなんてただの甘え」というのは間違いで、人それぞれに、「ちょうどいい距離感」がある。
誰にとっても、仲良くなれる人となれない人がいるように。
勉強はできないけれどスポーツが得意という人もいれば、運動音痴だけど勉強は得意という人もいるように。
当たり前のことだけど、忘れてしまいがちなこと。

どんな働き方が正解か、不正解かとか、世間に許されるのか、許されないのかとか。
そんなことはひとまず考えずに、「自分は」どうなのか。
そうやって素直になって考えることが、自分にとっての「ちょうどいい距離感」をうまく見つけて、それに近い状況を実現するための近道なのかもしれない。