今、私は心身のバランスを崩し、お休みをもらっている。仕事が忙しすぎて睡眠時間も少なく、合わない仕事を続けた結果だったと思う。
休みに入った当初は、睡眠不足を補うようにとにかく寝た。そのあと、生活リズムを整えるため、朝散歩を始めた。

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散歩をしながら感じる秋の匂い、風に揺れる木の葉、揺れに応じて瞬く木漏れ日。こんなに綺麗だったっけ?としみじみと感じた。都会の少ない草木は、人工的にデザインされていてもなお、美しい。仕事をしているときはままならなかった家事もゆっくりすることができる。
自分で自分を世話している感覚がなんとも言えず心地良い。平日はなかなか取れなかったランチも、お店を吟味しながら探して選び、ひとつ違う路地に入ると、全然知らなかったスポットを見つけたりする。そういう余白が人生には必要だ。

ジムにも通い始めた。測定をしてみると、あまり運動をしてこなかったため、筋力がとても少ない。
フィットネスやマシンでの運動をしてみると、明らかに出来ない動きや今まで使ってこなかった筋肉の存在、身体の動かし方の癖がはっきり分かりとても面白い。何より、自分の身体に向き合う感覚が新鮮だ。久々に「人間の生活」をしていると感じて何より嬉しい。なんともいえない手応えがある。

少し落ち着いて、忙しい日々を振り返ると、仕事にやりがいはあったものの、いつからか、自分にとって「楽しいこと」が分からなくなっていたことに気付いた。
成果を出して褒められても心から嬉しいという感情は正直なかったし、かと言って何をしたら心から楽しいと思えたり、喜びを感じたりすることができるのか、私にはもう分からなくなっている。まるで「他人の人生を生きている」ような感覚だ。

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せっかくのお休みなので、ゆっくり自分の人生を振り返ってみようと思う。
「自分が最後に楽しいと感じたのはいつだろう」と考えてみると、パッと思いつかない。
いつから、なんでこうなってしまったのか。

カウンセリングなどでは「子どもの頃に好きだった、楽しかったことが本当の好きなこと」と言われる。私の場合、小さい頃の記憶はほとんどないが、綺麗な色の石を集めるのが好きだったことだけは覚えている。探して見つけるのが好きなのだろうか。
母に私の幼少期について聞いてみると、勝手に公園に行って、そこで友達を作って遊んでいるような子どもだったそうだ。それがすごく楽しかったか、どうなのかまったく覚えていない。
小中学生の頃の日記やメモを掘り起こしてみると、人生は良いものだというような著名人の名言や「自分は恵まれている」という意味合いの言葉が並んでいる。今見返してみて、それが「生きるのがつらい、くるしい」という感情の裏返しであると思い至った。

そんなに小さい頃からなぜ人生に悩んでいたのだろう。思い通りにいかなかったことは、比べるものでもないが他人よりも多かったのではないかと思う。
父の転勤で引っ越しをしたこと、先天性の持病があり、訳が分からないまま手術を受けさせられたこと、バスケ部に入りたかったがドクターストップでできなかったこと、小学5年生の時に親友がいじめられ学級崩壊になったこと。

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特に痛烈だったのは、小学校1年生の時に手術を受け入院している時だ。
治療で何をされるのか説明もろくにされないし、初めてのことばかりでそれをされたらどう痛いのかそもそも分からない。いつもビクビクしていたし、怖かった。
2ヶ月くらいは全身ギブスで動けなかったので、頭で考えることが多かった気がする。

ここまで考えて気づいた。もしかしたらいつのまにか、痛みや不快さを感じないように身体の感覚を遠ざけ、頭ばかり動かすようになったのではないか。その結果、身体の疲れやSOSをまともに受け取れない身体になり、そういう感覚が戻ってきたら自然と楽しい気持ちも戻ってくるのではないかと思った。
このお休みは、そういう自分に欠けていたものを取り戻すために使うことにしようと思う。
また、今までどんなことに対しても常に受け身になっていたのではないか、とも思う。
常に時間に追い立てられて、焦っていた。仕事でもなんでも、「自分がやっている」ではなく「やらされている」感覚に陥っている時間が長かった。病院のベットの上でまな板の上の鯉のような状態だった頃の感覚が抜けきっていないのかもしれない。誰かの助けを借りなければ生きていけないという刷り込みも強いように思う。

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今、何も強いられない生活をしていることで、一瞬ではあるものの、「自分が動かないと何も動かない」と、自分が主導権を握っているような感覚を持った瞬間を感じた。
今は一瞬の感覚でも、これが続いていくと自分の人生を取り戻せるのではないかという気がする。
本来人生は全部自分で選んだ結果だと思えれば、全部楽しい、面白いはずだ。
正直、10数年、もしかしたら20年以上失っていたものを取り戻すにはまだまだ時間がかかると思う。
いつから仕事に戻れるのか、いつまでこのままでいられるのか、そういう頭で考えることは、時間の許す限りいったん置いておこう。お休みの終わりはどこまでも自然にやってきて、直感で分かるだろうと信じている。

その時が来た時、きっとしあわせな空気を身に纏い、自分の人生を生きられるように、目の前の「今」を感じ切って、自分の感覚を信じて、どこまでも身を委ねたい。自分の人生の主導権を本当に取り戻すために。