2022年の目標は大学院合格だった。それは年明け早々に結果が出たので、よく考えると、それ以降は今年の目標を不在にしたまま過ごしていた。
ダイエットでの目標、行きたい場所/欲しいものリストは常にあるが、大きな目標はないままだった。

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9月中旬、東京。私は昔の同僚とビアホールでグラスを傾けていた。22歳で出会った頃より年々美しくなる彼女は、結婚式の帰りとあってか、その日は一段と色があった。
この日は約半年ぶりの再会で、お互いのアップデートを確認していると、直ぐに彼女の恋愛事情が話題になった。
バレー部仕込みのアグレッシブさが凄まじい彼女は、週に5回それぞれ異なる人とデートしているだの、最近も出会いがあっただの、ベッドの相性がどうだの、聞いているだけで胸がドキドキするような言葉が次々と出てきた。

29歳の私たちは、ちょうど人生の岐路に立っているんだと実感することがある。周囲が見えなくなるほどにキャリアを追っているあの彼女、2人目の子どもを考えているまた違う彼女、いつまでも結婚の話題を出さない彼氏に苛立ちを覚えているその彼女。
私たちのように仕事や学業をそこそこに、20代前半と変わりなく新しい恋愛を楽しんでいるタイプは減ってきたように感じる。だからこそ、その日に彼女と話すことで、真新しい恋愛小説をめくるような高揚感を感じられた。

話は、彼女の恋愛に対する彼女の地元の友だちからのコメントに移った。ずばり、「愛されているが勝ち説」の展開である。
要約すると、我々は恋愛では能動的な「愛する」という行為か、「愛される」という受動的な行為の2つがある。「愛される」ことは受け身であるから、自分が何かしていなくても自動的に愛を受け取れる。しかし、「愛する」は行為者にならければならないから、自分の愛を消費しなければならないのだという。
つまりは、能動か受動かで、自分の中にポイントとして貯まる愛の数値が変わるという訳だ。

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この話を聞いて真っ先に思い出したのは、近代経済学の父アダム・スミス。経済学とは愛の節約の学問だってやつだ。
愛は有限だから、大事に使わなければならない。だから経済を回す時には、人間の「利己心」を使うことで愛を節約できる。「利己心」はふつふつと湧いてくるから、経済分野にはぴったり……とかいうアレだ。
そう、ここで前提になる概念は、「愛は有限である」ということ。何言っているんだ!!というフェミニズム経済学の視点はここでは置いておき、2022年を生きる29歳女性の恋愛観に、経済学の考えが自然と応用されていることに注目したい。

「恋愛で優位な立場=愛されること」という方程式も非常に面白い。その方程式が成り立つのであれば、当然逆は「恋愛で劣位な立場=愛すること」になる。所詮は愛されている方が幸せってこと。
確かに経済学よろしく、愛とは有限なものだと仮定すれば、元から自分の中にある愛をキープしつつ、相手の愛を受け取ることは、結果として自分の愛(資本)を増やすことに繋がる。

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目の前のビール3杯目の彼女は、この地元の友人たちのコメントを話し終えて一言。「恋愛観を言葉に換えられるのは凄いよね」と。そっちかーい、って。
コメントの中身についてどう思っているのと聞くと、「納得はする」とのこと。彼女は人の考えを道徳的におかしくなければ受け止める超リベラル派。私も批判は極力避けたいし、人の意見は新しい知見として吸収したいと常日頃より思っている。
だが、しかしね……。この恋愛と経済学をくっつける考えは相容れられないのが本音。
面白い考えだとは思うし、愛されることに価値を多く置くことが間違っているなんてことはない。ただ、「愛すること」がマイナスになるという考えはI can’t take itなんです。
その考えがあるから、母親の無償の愛を神聖化し過ぎて女性を愛の空間(家庭)に縛り付ける。そして、そもそも愛に序列をつけることにそわそわしてしまう。
愛することに状況、相手、長さに変化はあるだろう。でもそれが種類の変化とも言えるのだろうか?愛に種類ってあるの?この愛は劣っていて、この愛は凄く良いって、誰が決めるの?

多様な考え方があることを否定などしない。ただ、見えないものを無理やり数値化することには、危険が潜んでいる。
数値化することで初めて多くの人がその実態を理解できるようになるのは、様々な論文から学んだ。あ、家事労働は金額に変えるとこんなに多いのね、なんて価値のあることをしているんだ、って。
ただ、そうすることで、皿洗い1回○円、子どもの送り迎え1週間で○円、入院中の祖母の手を握るのは1時間○円など、全てを資本主義の考えに当てはめてしまう。パン屋がパンを焼くのは、お客さんに美味しいパンを食べてもらいたいからではなく、代金を受け取るためだって。

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何も間違っていない。ただ、この話を聞いて少し寂しくなっただけ。だから残り3ヶ月ちょっとを使って、愛が何なのか考える時間を確保することにした。文献を読むのはもちろんだが、様々な友人たちにインタビューをして、20代女性の等身大の愛を知りたいと思う。

そして私自身の体験の考察。私は現在、恋人ではないが好きな人がいる。はっきり愛していると言い換えて何の違和感もない。彼とは付き合ってはなく、今はこの関係には名前をつけないようにしている。彼にもそれを話して、同意の言葉をもらっている。
人は「セフレ」と呼ぶかもしれない。私にとっては「デートをしている人」なのだが。カテゴライズすることの意味、そうすることでの愛への影響はあるだろうか。2022年の最後のテーマにしたい。

そして、経済学者顔負けの恋愛への応用を実践している、あの友人の地元の友だちと飲み会のセッティングをお願いした。あの、ビールのアルコールを吹き飛ばすまでの衝撃を、しっかり整理させてほしい。その結果は2023年に報告したい。