なにもすることがないというのは、すばらしく心が踊ることだということを、転職して入社したばかりだった会社を辞めて、わたしははじめて知った。

今年の春、わたしは転職をして、それにともなって東京を離れ、とある離島に移住した。そこまでして入った会社を、わたしはたった数ヶ月で辞めてしまった。
理由はよくある人間関係。もう少しだけがんばってみよう、と何度も思った。でもその気持ちは次第に、これ以上ここにいたらどうにかなってしまう、に変わった。だから辞めた。

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その日以来わたしは、「なにもすることがない日々」を過ごしている。
働いていたときにはさまざまな色で埋め尽くされていたカレンダーは、どこまで行ってもまっしろ。やらなければならないことも、やりたいことも、ない。何時に起きてもいいし、いつ何をどれだけ何時間かけて食べてもいい。ねっころがりたいときにねっころがって、眠たければ(夜あれほどたっぷり寝ているのに)そのまま眠ってしまう。
ドラマシリーズや映画も好きなだけ観る。天気がよければお散歩に行く。読みたい本を読みたい場所で、読みたいだけ読む。海辺までドライブして貝がらをひろう。イスを持って行って海辺で本を読む。夕日が完全に沈むまで、空を眺める。灯台に明かりが灯るまで、ぼーっと。夜は満点の星空を見て、本を読みながらお風呂に入って、寝る。そのくり返し。

そんな怠惰としか形容しようのない日々を数ヶ月間過ごしてみて、はじめて知った。わたしの魂が、今までどれほどなにもしない時間を欲していたか、ということに。
それは同時に、わたしが今までどれほど自分の心と体に鞭打って、「ちゃんとしている自分」を演じてきたか、という気づきでもあった。

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何か「生産的」なことをしていないと落ち着かない、だとか、予定が入っていないと不安になる、などという話を時々聞く。だからわたしも、会社を辞めてすぐは、何かしていないと落ち着かなくなってしまうのかな、などと考えていた。でも、それは全くの杞憂だった。なにもしなくていいという事実に、わたしの心は踊った。

わたしはこれまで長い間、なんにもしないで、ただひたすらだらだらしたい気持ちをおさえこんでいたのだ!

ずっと切望してきたものを手に入れたわたしは、うれしくてうれしくて、初めのころは、よく理由もなくベッドにダイブしたり、台所で小躍りしたりした。さすがに最近はもうしないけれど。

なにもすることのない日々は、余白であふれている。というか、余白しかない。

余白の中では、さまざまな気づきが生まれる。ふとした瞬間に目に入ってきた景色や聞こえてきた音、鼻をかすめた匂いなんかから、ずっと忘れていた記憶がふと呼び起こされることや、ああ、あの時わたしは本当は嫌だと思っていたんだな、と、長い月日を経て自分の本当の気持ちに気がついたりする。何年か前の自分のために涙を流した後は、心の底からすっきりする。
島で出会った友人が言っていた言葉を借りるならば、余白のある時間の中では、「心に深くもぐる」ことができるのだ。それってとてもすてきで、大切なことだ。

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貯金も尽きかけてきたので、わたしはそろそろお休みをやめて、新しい一歩をふみだそうとしている。

新しい場所では、また「ちゃんとしなきゃ」スイッチが入ってしまいそうな気もして、すこしこわい。でも、そんな時には、このお休みの間に見た島の風景を、思い出したい。毎日の満ち欠けがわかるくらいに眺めた月を。散歩しながら、窓を開け放したリビングで本を読みながら、頬に感じた海風を。船が到着するたびに島中に響き渡る、ぼーっという汽笛の音を。透き通った海に飛び込んだときに感じた、自然のリズムの中でわたしは生かされているという感覚を、思い出したい。

どんなに忙しくなってしまっても、わたしの心のどこかが、ここで流れていた時間を憶えているかぎり、わたしはきっと、大丈夫な気がする。