幼少期、1匹の子犬が我が家にやってきた。初めてのペットだった。後にはペットを超えて家族の一員になる存在だ。
当時は見た目はとてもかわいいと思ったが、爪が怖くて抱っこすることが出来なかった。妹が抱っこし、その隣に私がいる写真がある。今となってはあんなにぬいぐるみのようにかわいい子犬を抱っこしなかったことが悔やまれる。今の自分だったら喜んで抱っこするのに……。
でも今の私にはそのような機会はもうない。今後もあるだろうか?と思う。
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犬の名前はポチ(仮名)と名づけ、弟のように可愛がった。遊ぶのが好きでよく一緒に遊んだ。
子犬の頃は、元気がありあまり私の朝食のパンを奪われたことが度々あった。朝のドタバタした時間にパンをもう一枚焼き直して食べる余裕はない。朝は攻防が繰り広げられた。それも懐かしく思う。
その時、はまっていたパンの味はいまだに覚えている。トーストにピーナツバターを塗ったものである。甘くて香ばしい。その匂いにつられてポチがやってくるのも納得だ。
犬の成長は早い。子犬だったポチはあっという間に成長し、すぐに大きくなっていった。大きくなるとポチは外で飼うようになり、私の朝食時間とバッティングすることはなくなった。外で飼うようになったからといって、ポチに対する愛情が薄れていくということはなかった。
図工の時間に、ポチと祖母の犬とポチがお気に入りの近所の犬がテーマの作品を作ったことをよく覚えている。普通はよその家の犬まで作品にはしないが、ポチが気に入っていたという理由で作品に入れた。
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月日が経ち、またポチを室内で飼うようになった。飼うというより同居するという表現のほうがしっくりくる関係かもしれない。
成長したポチは朝食を奪い取ることはなかった。元々、無理矢理奪い取ることはなく隙を見て上手に咥えて走り去る感じだった。だから私が小さくなければ取られなかっただろう。ポチも成長したが、気づけば私も成長していた。
パンを取るどころか知恵がついて、水がなくなると容器を自分で持ってきたり、容器をわざと咥えて落として水の催促をするようになった。
今はポチは天国に逝ってしまった。最期は眠るように永眠した。犬としては長生きだった。でも人間で考えると短すぎる人生だ。私の弟としてやってきた犬は私より先に老いてゆき、おじいさんになった。短い生涯のなかで外見のみならず、内面的にも成長していく過程をポチは私に見せてくれた。そして、私の成人を見届けて亡くなった。
私のスマホのフォルダにはポチの写真が入っている。つい先ほどまで生きていた気がして懐かしみながら眺める。その時にパンのエピソードを思い出す。
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最近、ピーナツバターを食べる習慣がいつのまにかなくなっていた。そして朝食もいつも食べるわけではなくなった。朝食を食べないほうが調子が良いと感じることが増えたからだ。
なぜだか家族もピーナツバターを食べなくなっており、ピーナツバター自体が疎遠になった。
でも、また久しぶりに甘くて香ばしいピーナツバターのトーストを食べたい。朝食としてでなく今度はゆったりとおやつに食べたい。