2012年7月の某日。“某日”と書くのは、私がその日を、大事な記念日にもかかわらずフワッとしか覚えていなくても一応成り立っているからだ。
毎年お祝いをするわけではないし、家族には話したことがあるが、きっと誰も覚えていないだろう。私の、“日記ちゃん記念日”のことは。

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夏休みの幕開け。私は当時小学6年生。母が仕事帰りに買ってきてくれる、500円のローティーン向けファッション誌を楽しみにしているふつうの女の子だった。
その頃のことで今思い出せることといえば、飼っていた犬が亡くなったことと、エアコンの効いた部屋で日々貯金箱を作り手指がペンのツンとした匂いになったことくらい。そして、家族がよく喧嘩をしていたこと。これは1番よく覚えているかもしれない。

日記を書き始めた日の話題は、最初から最後まで“自分の正当化”だった。
母・祖母・祖父が時々声を荒げ、また時々バン!という大きな音を立てて固い扉を閉める。その様子を見て、11歳の少女である私は「自分がこの家のなかで1番マシだ。異論は受け付けない!」と思っていた。
あれから10年の月日が過ぎ、私は2度の引っ越しを経て母と2人暮らしになった。祖母は2年前に他界し、祖父は高齢者住宅に入居している。今思い返せば、あの時代はそれなりに楽しかったのかもしれない。

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家族の喧嘩に対する不満をぶちまけた衝撃の1枚目から次へめくると、好きな人の夢をみたこと、将来雑誌のモデルになりたいこと、広島へ平和学習に行ったこと等、小学生らしいピュアでとりとめのない話が続く。
中学生になってからも、字体こそ変化したが、書く内容はいたって純粋。実際の生活では塾に通い始め受験勉強で辛いことも経験したのだが、ペンは数年前よりカラフルに体験を綴り、そこには明るい話題しか書かれていない。
高校に入ってからはより描写がリアルになった。嫌な思いをした出来事についても書けるようになったし、そのおかげか面白い話は今読んでも腹がよじれるくらい面白く読める。流行りの言葉遣いで紙の上を歩く文字は丁寧かつ繊細で、私自身をずっと鼓舞し続けてくれていた。
大学生の今は、レポート作成等がほぼPCでの作業になり、エッセイの投稿もネット上なので、日記ちゃんの更新頻度はかなり減った。けれども、自分の好きなときに自分の好きな世界を、誰にも迷惑をかけず誰にも何も言われず自由に広げられることが、今でも私の至福の時間である。

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ちなみに、私が日記を“日記ちゃん”と呼ぶことに対して特に意味はない。でも今思えば、きっとどの瞬間の私も誰かに気持ちを共感してほしかったし、誰かが聞いてくれていると想像しながら書いていたのだろう。
その証拠に、今では日記という域を超えて、私が文章を書くこの時間そのものが、私の友達になっていると感じる。社会では「友達が少ない」と言うとネガティブな印象を持たれがちだが、私は自分が自分の友達でもいいと思っているし、なんならそれって最強じゃね?とすら思っている。

こんな最強の私になれたのも、あの10年前の7月があったから。
記念日と呼ぶにはあまりにも記憶が無さすぎるけれど、それでも自分の大事な一部となって今の私を確実に支えてくれているあの夏の日の小さな少女に、私はこれからもずっと感謝し続けるつもりだ。