苦労して入った会社を辞めた。
残業三昧の中、半年かけて必死で探した転職先だった。どうしても行きたい業界で、諦めたくない仕事で、なにがあってもここで3年は頑張るぞ、と思っていた。
3年はおろか、4ヶ月しかもたなかった。

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同じ部署の人が全員逃げてしまって、すべて1人でやらなければならなくなったから。給料が低すぎて、生活が苦しくなったから。他人の不平不満に揉まれる折衝業務で心が疲弊したから。
それらしい理由はいくらでもあるけれど、早い話、頑張りきれなかったのだ。

本でも漫画でもアニメでも、本当に強い主人公は最後まで頑張るものだ。つらいことがあっても理不尽な目に遭っても、それをバネに励んで誰よりも強くなるのが常だ。だからこそ夢が叶うことは素晴らしいし、努力を重ねることは尊い。
私もそうでありたいと思い、厳しい業界と知りながら飛び込んだ。多少の荒波になんか負けないと誓って。自分の大好きなことで成功すると心に決めて。

「夢は諦めなければ叶う」
「夢を諦めたらそこで終わり」
「信じ続ければ夢は叶う」
世の中にあふれているそんな言葉を握り締めて2ヶ月ほどで、気づいたら僅かしかごはんを食べられなくなり、1日3時間ほどしか寝られなくなり、悲しくもないのにだらだらと流れる涙を隠しながら出社する毎日を送っていた。

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仕事自体は大変だけれど、とても楽しかった。味方でいてくれる人もいた。それなのに、働くほどに死にたい気持ちが増していった。
こんなはずじゃなかった。でも今のこの苦しみがいつかの喜びに変わるはずだ。でももう体も心もボロボロだ。でもいま頑張らなくていつ頑張るんだ。でも限界だ。でも諦めたらもう夢は叶わないから堪えなくちゃ。
正反対の思いが常にぐるぐると頭を駆け抜けていくうちに、体を決定的に壊しそうで、なにより、このままだと大好きだったものさえ大嫌いになりそうで、私は退職を決めた。

憧れの職に就いて、夢を叶えた気持ちになっていた。
その継続の苦しさを乗り越えられなかったことや、誰よりも努力しようという気概が足りなかったことは、私の弱さや足りなさゆえだった。
恥ずかしかった。
世界で1番無様だと思った。
誰にも会いたくなかったし、知られたくなかった。
なにより、もう二度と夢が叶わないことがつらかった。
退職の日は、もうここで働かなくてよいのだという安堵と、そう思ってしまう自分への絶望感や虚無感でぐちゃぐちゃになったことを覚えている。

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あれから1年半が過ぎた。
私はいま、もとの職種に戻って忙しく働いている。大好きな分野ではないし、残業もそれなりにしている。でも、美味しく食事を摂り、ぐっすり眠り、笑って過ごせているので、もうつらくはない。
たった4ヶ月の経験だったけれど、前職で得たものは少なからずあって、それは今の職場でも活きているように思う。あの頃に戻りたいとはまったく思わないが、それでもやっぱり好きなことに仕事として関わっていたい気持ちは今でもある。

好きなことを仕事にできる人なんてひと握りだ。私にはそれが難しいのなら、別の方法を探せばいい。今の職に活きるものがあるなら、今の私で好きなことに対して挑戦できることもあるはずだ。今の私が無理なく頑張れることもあるはずだ。
そう思うようになってから、仕事が前よりずっと楽しい。いろんな方面の勉強もするようになって、大好きなものと関わるたくさんのビジョンが見えるようになった。
1度潰えた夢だけれど、まだ終わってはいないと思っている。
正攻法がすべてではないはずだから。
好きなことは趣味で十分、だなんて言えるほど私は大人じゃないから。

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ずっと憧れだった仕事を辞めたあの日は、夢を諦めた記念日だ。
1度くらい諦めたって夢は叶う。
そんなふうに、未来の私が言ってあげる予定日だ。