看護師という仕事は激務だ。病棟勤務は特に。受け持ち患者さんの処置や検査が多いのに、救急搬送の患者さんは突然やって来るし、ご家族との面談や連絡などの事務手続きもある。
そんな人ばかりではないが医師に横柄な態度を取られたり、認知症の患者さんに置き時計を投げつけられたり、セクハラまがいに腕や頬を撫でられたりすることもよくある。

でも、時々救いがあり、どうにか看護師を続けられている。

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七年前。看護学校の受験合格後の春休み。自宅の電話が鳴った。
「入学式で新入生代表の挨拶をしてください」
それって成績が一番だったってこと?家族で手を取り合い、大喜びし、母に協力してもらいながら、毎日せっせと挨拶の原稿作りに励んだ。
後日、できあがった原稿を持って、ニマニマ頬を緩ませながら、看護学校へ向かったが、わたしはこの日衝撃を受けたのだった。

原稿に目を通した看護学校の先生が、
「あなた個人のエピソードが欲しいのよね。何かないの?」
と言った。
「え?えーっと……、わたしは子どもの頃、足が病気でした」
わたしがそう返すと、
「そう!そういうのよ!」
と先生は言った。半ば喜んでいるようで、目を疑った。看護師が病気のエピソードを欲してるなんて!

当然のように「病気だった過去があるからこの仕事を志した」と思われていることに唖然とした。
仕事なんて、適性や偏差値や好みや条件で選択するものではないのか。消防士は火事に遭ったことがないといけないのか。警察官は強盗に入られないといけないのか。そんなことはないだろう。
それに、わたしの足が悪かったのは事実だが、0歳児の時に足に矯正器具をつけていたことや、受診時に医療者がどのような対応をしてくれたかなんて、覚えているわけがないじゃないか。
わたしは、経済的に自立するために看護師を選んだ。それは理由としてまったく悪くない。が、人に聞かれた時「この仕事にずっと憧れてました」という答えを望まれてるなと察すると、もう言えない。「色んな縁ときっかけで」とお茶を濁している。

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わたしは「白衣の天使」ではなく、「白衣のOL」だ。採血や点滴を始めとする様々な医療的な処置、検査の介助と、患者さんの療養上のお手伝いをする、OLだ。その人が少しでも心穏やかに入院生活を送れるように、一日でも早く退院できるようにと心を配り、頭を使い、体を張る仕事だ。
治療の計画は医師が立て、治療に耐えるのは患者さんだが、患者さんのすぐ傍で支えるのはわたしたち看護師だ。

看護師という仕事に個人的なエピソードも、思い入れもないが、患者さんに優しく、丁寧であろうと決めている。
曖昧な表現は使わず、待ってほしい時には「大体何分、お待ちいただけますか」と具体的にお伺いを立て、検査や病気についても分かりやすい言葉選びを日々模索している。人からすれば小さなことでも、自分にとったら大事なのだ。「気になることがあれば、どうしたらいいか一緒に考えましょう」という声かけも大切にしている。

看護師を志したのは自立のためでも、患者さんに穏やかに過ごしてほしい気持ちは本心だし、良くなってほしいと心から思っている。わたしはプロの看護師だ。知識や技術が浅くても、どんなに忙しくても、仕事が終わっていなくても、わたしたちは「優しい」のプロでなければならない。
弱っていなくても、人には優しくされたい。弱っている時なら、なおさらだ。

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「丁寧にしてくれてありがとう」
「優しい看護師さんで良かった」
そう言ってもらう時、もちろん嬉しいが、一番嬉しいのは、患者さんが私服を着て退院されるその瞬間だ。病室のベッドで、病衣で寝ている時には、その人らしさは皆無だ。表情は暗く、生気を感じにくい。だから、ご自宅に帰られる時、はじめて本当のその人に少し触れられたように思う。

病室を出て、ナースステーションに挨拶に来られる時、わたしはもう、胸がいっぱいになるほど嬉しい。ああ、こういう服装がお好きだったのね。ようやくお家に帰れるのね。もう入院しないでね。
病気は自身でコントロールできるものではないが、必ずそう願う。
元気でいてね。元気で。

こういう瞬間のために看護師をしてるのかな。分からないけど、救われているような気がする。誰かを支えて、守って、自分も支えられているような、そうやって世界が循環しているようなそんな気持ち。