どうしてこんなにも、ありがとうも、ごめんねも、大好きも。
無防備というか、無責任というか、放置すればするほど、大きくなってしまうものなのか。

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これが恋するって気持ちなんだって知ってから、3年。
大好きな気持ちを伝えられないまま、会えなくなって2年。
大好きだって言えなくても、伝えられないままでもいいから。
わがままかもしれないけど、せめて最後にちゃんと自分の言葉を、声にして、
ごめんねとありがとうを伝えたいだけ。
アルバイトだったときは、たくさん会えてたのに、
店長になってからはまるっきり会えなくなった。
だけど、バイトリーダーのときにたくさん仕事を教えてもらってたから、
困ることはなかった。
それは全部、“君”のおかげだから。

1人で抱え込んで泣きたいのに、泣けなかった夜がある。
私の全部なんて知らないくせに、
「頑張り屋というより、ユニフォーム着ると仕事スイッチ入るタイプでしょ?
全部知ってるから、全部分かってるよ」って連絡をくれたよね。
本当にどこまでも真っ直ぐなのに、不器用な人だなって思う。
今でも思うんだけど、もしかして君は、店長になることを知ってて、
何も知らないふりをしたの?聞いてないふりをしたの?

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誰かを好きでい続ける。何かを好きでい続ける。
これに深い意味なんてないのに。憧れるものに憧れ続けるように、
顔を上げていられることができたなら。
そんな無くしたくない、大事なものを、2度と同じものは手に入らないと分かっていながら、
壊す以外の選択肢がなくなって、自分の手で壊したことがある。
いつしかそんな自分を嫌いになっていた。
だけど今の自分が、目の前にいてくれる人に優しい気持ちでいられるのは、
こんなにも伝えたいのに伝えられない言葉があるからなのだと、
離れてみて、よく分かった。

店舗のこともそう。君のことも。
自分が不器用なばかりに、1番伝えなきゃいけないことは、
目の前に見えていたはずなのに、恋も、愛も、大好きにも、
何度もすれ違う交差点はあるのに、その始まりもなければ、終わりもない。
そう。恋にも、愛にも、大好きにも、
それを感じているだけで幸せだと感じることはできても、
その始発駅の名前もなければ、終点の駅名もないのだ。
それと、タイトルなんて便利なものも、どこにもなくて。
かけがえのない人との出会いを、偶然だとか、必然とか、ましてや奇跡とか。
そんな簡単なもので片付けてしまっていいのだろうか、と私は思う。
大好きなものも、憧れているものも、上書き保存でしか保存できないのに、
好きでいればいるほどに、上書き保存するほどに、時間が経つほどに、
キャパオーバーしてしまうのか。

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“君がいる”。どんな思い出の中にも、君がいるから。
何度でも会いに行ける思い出の中に、君がいるから。
思い出を丸ごと全部、抱きしめ続けることができたら、
こんなに苦しくなることなんてないのに。
晴れた日に豆を撒くだけでなく、雨が降る日に豆を撒いたっていいじゃない。
それがいつしか道端に咲く、四つ葉のクローバーになるのなら。

人生という思い出の中に、喜びと悔しさが入り混じったものが、
やがて涙となって、空へと帰るとき。
その光が、海の上で光の道をつくり続けていられますように。
君が太陽なら、私はそんな光を帰す穏やかな海でいたい。
これから先ずっと、
こんな自分を大事にできる理由が、大切だと思い続ける在処が、
君のためだけにありますように。
たとえ海辺にしか咲かない花でも、そこに咲き続ける花でいたい。
ねえ。今、君は何を願ってるの?