人生の歯車が狂ったように動き出したあの日の14時46分。その街は大きな波に飲み込まれた。
高校の部活動前、暖かい音楽室で友人たちと談笑していた。音楽室の扉を勢いよく開けて入ってきた先輩の声。「大地震で東北が凄いことになっているみたい、大きな波がきた」って。
映画みたいな話に面白半分で、携帯を開きニュースを見る。人の身長を、建物の高さを遥かに上回る波が、街を飲み込んでいく。母から、「父がこれから現場に向かうかもしれなくて連絡が取れなくなるかもしれない」と連絡が来る。
これは映画の世界じゃない。リアルな出来事なんだ。そう実感が湧いたとき、少しも笑えなくなった。

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通っていた高校の研修旅行は、長野でのスキーから被災地である東北へ変更。学校内、生徒の家族だけでなく、ありとあらゆる様々な方面から批判の声が寄せられた。
それでも行先は変わらず東北。多くの学校では全員で行くはずの修学旅行が、参加自体がそもそも選択制となり、コースも被災地を見て回るかスキーをするかの選択制となった。
誰もが楽しみと思うはずの大イベントが、企画前から大波乱。学校内でも意見が大きく分かれるものとなった。

私が選んだのは、東北を肌で感じたく被災地を見てまわるコース。さらに、研修旅行の実行委員となり、現地の高校生と交流する会を担当。事前の打ち合わせを日々行い、プログラムを組み立てていく。
交流会がスムーズに進むように、希望者を募って現地の高校生とオンライン交流を開催し、東北へ行く心構えをしていく。
実際に現地の高校生から伝えられる現実は、相当なものだった。
足を怪我して入院している友人のお見舞いに行った人。看護師に背負われて避難する友人、2人ともが波に飲み込まれる瞬間を目の前で見た。画面越しに伝わる彼の絶望が深く心臓に突き刺さる。
そして、オンラインゲームで知り合って文通をしていた私の友人。波に丸ごと飲み込まれた地域に住んでいた友人に、電話をかけても一切つながることはなく、気づいたら使われていない番号となった。
いま友人が何をしているかわからないが、後に近くへ訪れたとき、その街は更地だった。

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研修旅行の後、目の前で友人を亡くした彼に案内され、知り合いになった気仙沼の高校生の元まで会いに行った。
気仙沼の街は、津波により海岸沿いの船舶燃料用タンクから重油が漏れ、大火災となった。津波で大火災が広がり、深刻な被害を受けた地。当然、電車なんか通じていない。

鮮やかなピンクの花が咲く鹿折唐桑駅。ぽつんと残されたベンチの前には、駅の前にあるはずのない大きな船。きれいな花との対比に、何とも言えない感情が心に穴を空けた。そこに詰め込まれたのは、現地の高校生から聞かされる絶望と哀しみの言葉。自然の前で人間はどこまでも無力であることに、心が痛んだ。

更地を踏みしめてから、この先の人生で何ができるだろうか。漠然と思った当時は、ただ海へ祈ることしかできなかった。

それから毎年3月11日は祈りを捧げる日。海に、そして人生が変わってしまったすべての人へ。自分のことしか考えてなかった私を、誰かの幸せのために人生を費やしたいと思うきっかけとなった日。
適切な言葉ではないとわかっているが、この私に強く美しく生きるための力を与えてくれた大切な記念日。いくつになっても、誰かがこれ以上の悲しみと絶望を抱えることがないよう、願って祈り続けたい。
そして、誰かの幸せのために働き生き続けると誓った。そんな大切な記念日。