わたしには中学三年生まで父がいた。
母とは喧嘩が絶えず、家の壁は穴だらけで気に入らないことがあると必ず車の一部を壊して帰ってくるような父だった。
怒らせれば手がつけられず、何度怒鳴られ殴られたかは分からない。
結局、父とはもう二度と会わないことを約束に縁を切った。
今は彼がどこで何をしているかは分からない。
◎ ◎
一般的な“優しいお父さん”でも“厳しいお父さん”でもなかったけど、私は父のことが好きだった。
父は仕事が休みの日、機嫌がいいと料理をしてくれた。
ナッツの入ったカレーや、ミートソースパスタなど洋食が多かった。
その中で私がいちばん好きだったのはオムライスだった。ナイフを入れるとトロッと崩れるようなおしゃれなオムライスではなく、しっかり焼いた厚い玉子で巻かれただけのただのオムライスが大好きだった。
小学校2、3年生でキッチンに立てるようになると、私は父にオムライスの作り方を教えてもらった。
最初は玉ねぎがみじん切りできていなくて繋がっていたり、フライパンが重たくて玉子が上手く巻けず破れてしまったりしたが、回数を重ねる毎に段々上達していった。
愛があったからなのか、機嫌が良かっただけなのかは分からないが、父は私が真似して作ったオムライスを満足そうに食べていた気がする。
作るのが上手くなってからは、「どっちのがパパが作ったオムライスか分からないでしょ!」なんて言って父を怒らせていた。
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しばらくして父と離れ、家を出ていくための荷物整理をしている時に、小学生の頃の夏休みの宿題の絵日記が出てきた。
私の物事を継続できない性格のせいで絵日記はほとんどが適当に描かれていたが、父とオムライスを作り、一緒に食べた日の絵日記だけはちゃんとオムライスの絵が書いてあり、日記部分には「パパのおむらいすはせかいいちおいしいです」と書かれていた。
その時、私はなんとも言えない気持ちになり、俯いて音を立てず泣くしかなかった。
引越し業者の人は珍しそうな顔で私を見ながら荷物を運び出していたが、私は動くことができなかった。
私はその絵日記の写真を撮り、わざとらしく折り目をつけて広げ、見せつけるように父の部屋の前に置き、家を去った。
絵日記はもしかしたら破り捨てられたかもしれないが、父の目には写ったはずだ。
20歳の私は今、父と似たような心の障害を抱えている。
以前は暴れる父は恐怖でしかなかったが、今思うとその時父もまた例えようのない恐怖に襲われていて、不器用な性格のせいで誰にも頼れないままひとりだったのではないかと思う。
決して父ともう一度話したくも、会いたくもない。
もう一度この両親の元に生まれたいかと問われれば、私は迷わずいいえと応える。
ただ、今はもう味もまともに思い出せないのに、時々あの時の嬉しそうな父の顔が思い浮かぶ。
ただただ心が弱くて伝える方法をぶつけるしか知らなかっただけで、優しさが一欠片も無いような人ではなかった。今は言葉では表せないほど嫌悪感を抱いているが、確かに大好きな父だった。
もし、もう一度叶うのなら、もう二度と食べられないオムライスを私は食べたいです。