その店が閉店してからもう3年近く経つというのに、私は今でもその場所のことを夢に見る、二度と食べられない味を思い出す、今どこで何をしているかすらわからない店主に思いをはせる。
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私は喫茶店というものが好きだ。
チェーン店も良いのだが、個人経営の店の何とも言えない独特な雰囲気はいつだって私の心をくすぐり、細部までのこだわりは私を魅了する。
厳選された豆でいれられるコーヒー、テーブルに置かれた昔懐かしいまあるい占いの機械、エメラルドグリーン透き通るクリームソーダ、他では見たことのないデザインのティーカップ。
……今まで足を運んだ喫茶店は数知れないし、幾つものこだわりが私の心をきゅっと掴んだ。
その中で、いつまでも忘れられない店がある。
その店は東京下町北千住から商店街を抜けたところ、駅からは10分近く歩いたところにひっそりと存在していた「qkj」というカフェ。
ちなみにこのアルファベット3文字で「休憩所」と読ませる。なんとも素敵な言葉遊び。
その店は、ひとつの店舗を日替わりのオーナーに貸すというスタイルをとっていた。
例えば月曜日は独立を目指す夫婦が営むコーヒーとスイーツの店、水曜日の夜は写真好きな人が集まって各々が撮った写真を見せ合うバーへと、同じ店舗の中であっても店主やメニューを変えて営業するのだ。
qkjは週末にオープンする占いが売りの店だった。
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「わあ、いらっしゃい、みかんちゃん」
店主ははっきりとした目鼻立ちのとてもきれいな女性で、チリンとベルが鳴る扉を開けて私の姿が見えると、にこりと優しい笑顔で迎えてくれた。
私はqkjがオープンしたばかりのころから足を運んでいた、いわば常連である。
元々北千住は地元だし、商店街をぶらぶらする中でこの店をみつけ、他の日替わりオーナーの曜日にもよく通っていた。その一番の理由は、独りになって落ち着きたかったから。
その頃私は保険会社の営業の仕事をしていて、精神的に追い詰められながらなんとか一日一日を生きている傍ら、エッセイの原稿片手に「営業に行ってくる」と嘘をついて都内の出版社を回る日々を送っていた。
町中の喫茶店もいいけれど、どうしても一目につかずに、一息つきたくて、わざわざ駅から徒歩10分のこの店に足を延ばしてでも、しっちゃかめっちゃかになっている心を整えたかったのだ。
営業の会社員として、これから生きていく自信はない。
けれど40、50と色々な編集部に持ち込みをするものの、エッセイストとしての芽は出そうにない。
「これから先どうやって生きていくんだろう。お先真っ暗」
そう悩む私に対して、店主の女性は実の姉のように相談に乗ってもらっていた。
彼女の占いでは、
「今取り組んでいるエッセイはきっと成功する」
と出ていて私に勇気をくれたものだ。そして彼女の占いの通り、私はある出版社の編集さんに見出して貰い、エッセイを出版できることとなった。
処女作の原稿はいつもqkjの窓辺のテーブルで、ボールペン片手に原稿用紙のますを埋めた。
普通の喫茶店ならば迷惑かもしれないが、私は「一日いてもいいよ」という言葉に甘えてほぼ一日店に居座って執筆をしていた。
忍足みかん、というエッセイストはこの店で十月十日育まれて、誕生したといっても過言ではない。
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そこでよく注文していたのは、スパイスから作られたカレー、チーズがたっぷりのったトースト、にんじんを使った美味しいドレッシングのかかったサラダに、ふんわりとしたくちどけのシフォンケーキ……お店がオープンした頃から通っていた私はどのメニューも試作品から知っていたし、どんどん改良されていくのを舌を持って知っていた。
「ねえ、みかんちゃん、これ。どうかな?新しいメニューにするつもりなの」
そう原稿にペンを走らせる私の横に置かれたものを食べては、感想を言った。
大好きな喫茶店はたくさんあるけれど、どこも完成していてお客さんとして提供されるものに舌鼓を打ち、雰囲気に酔うばかりだったけれど、ここのお店はお客さんではあるものの、私もまるで店の一員になったみたいにあれこれ作り上げていった。
チーズトーストはチーズが大好きな私の趣味でどんどんまったりしていったし、シフォンケーキの生クリームも私好みの甘いけれどさっぱりした味になった。
そして極めつけは泥ジュース。
泥ジュースというと泥みたいにどろどろした飲み物?を想像するかもしれないが、本当に泥を使ったジュースであった。なんでもどこかの国、確かギリシャかどこかだったかなあ……食べられる泥があって、花粉症なんかにも効くらしい。
それをはじめは水で割っただけで出していたのだが、いかにも見た目は泥水で、飲んでみてもじゃりっとした舌ざわりに、苦みがあって美味しくない……。
そう伝えると、試行錯誤の末に飲みやすくリンゴジュースで割ったものが完成品になった。
砂の舌触りはじゃりっとあるけれど、リンゴの甘みのおかげでおいしく飲めて、私のお気に入りだった。テレビが取材に来るほど人気のメニューになった。
けれど、その店は急になくなってしまった。
私は最後に店に行ったときのことをありありと覚えている。
それはエッセイの原稿も完成し、会社もそろそろ辞めようかと考え始めていた夏の日。
私はこの店がいつまでもあるものだと思って疑わなかったから、いつものようにチーズトーストと泥ジュースを飲み、とりとめのない話をして、店主はいつものように店の外まで私を見送ってくれた。
そしてその次の週の営業日イベントがあるから来ないかと誘われていたのだけれど仕事で行くことができず、「次開催するときは必ずいく」と言ったものの、次の営業日というものは来なかった。
店主体調不良につき休業というアナウンスがされ、半年もしないうちにお店自体が日替わりオーナーというスタイルを廃止して、他の曜日に借りていた人も全てお別れ出来ぬまま店が閉店になってしまった。それはあまりにもあっさりとした終わりだった。
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何故そうなったのかはわからない。ただ少し前から店の奥でよく揉め事のような声が響いていたから、経営自体苦しかったのかもしれない。ただ、私としては自分の居場所を奪われたような悲しい気持ちが残った。
今もそのお店は経営方針を変えて営業をしているけれど、同じ店のつくりであってももう彼女はいない、寂しくなってしまうから足を運んでいない。
その後、店主の行方を探そうとしたのだが、店で名乗っていた名前しかわからない、それはきっと本名ではない、本名もわからないから探しようがなかった。ほかの常連客も彼女の行方を探したけれど消息は掴めなかった。
けれど今でもふいに思い出す、チーズトーストの舌に残るまったりとした味わい、シフォンケーキのさっぱりとした甘さ、にんじんドレッシングの真似できないおいしさ、泥ジュースの舌触りと甘さ。
私は会って伝えたいことがたくさんある。占ってくれた通りエッセイを出せて、エッセイストを名乗れるようになったこと、あの店やあの味がエッセイストの卵だった私を育んでくれたこと。
いつかどこかで会えるのだろうか。きっとこの世界は狭いから会えると信じているからその日まで伝えたい気持ちはとっておこう、そしてまた会える日には泥ジュースを作って貰おう。それにもし私が「忍足みかん」という名前を名乗り続けられたら、彼女が私を探す目印になるかもしれない。
だから今日も私はあの店と、あの味を思い出して、あの店ではない喫茶店で原稿用紙のますを埋める。