毎年6月に愕然とする。
ええ?もう1年の半分が終わってしまったの?と。
そして11月を目前にした今のような季節に毎年、1年がもう終わってしまうことに驚くのだ。
毎年恒例の行事になりつつある。
◎ ◎
毎年思って、毎年学んでいることなのに、毎年時間の速さに驚き、焦ってしまうのはなぜだろう。
8月に買った花火セットを、今週末やろう今度の連休にやろうと言いながらもう埃をかぶってしまっている。
ついこの間買ったばかりなのに。
大人になると、この1年、何もせずに終わっちゃったなあと思うことが多い気がする。
あんまり成長できなかったなとか、これやろうあれやろうとたてた目標を達成できなかったなあとか。
でも、今年の私は一味違う。
私はちゃんと自分をよく頑張ったねと褒めてあげられるし、実際に1年前がはるか遠くに感じられるくらい成長した自覚がある。
そして、もっとちゃんと自分を褒めてあげようと、いつにも増して思う自分がいる。
◎ ◎
というのも、1年前、お姉ちゃんが子供を産んだ。
それから1年のうちに、彼女は信じられないくらいの成長を遂げた。
人形みたいな無表情だったのに、いつの間にか声をあげて笑うようになり、歯が生え髪が生え、自分で歩き出すようになり、今ではスマホのスワイプだって出来る。
そんな彼女を見て家族は口を合わせて「すごいねえ、1年でこんなに成長するんだねえ」と褒める。そして「それに比べて私は……」と続ける。
そんな光景を見て、「私はどうだろうか」と、ふと考える。
たしかに彼女は目に見える形でめまぐるしく変化した。成長した。目覚ましい進歩だった。
でも、それに比べて私たち大人は本当に変化や成長のない1年を送ってしまったのだろうか?いや、私はそうは思わない。
1年前にできなかったことができるようになり、1年前には知らなかった悔しさや苦しみを味わい、1年前には怖がっていたようなことにも、今なら経験を通して対処できるようになっただろう。
何も変わってない人なんていない。
この世は諸行無常で、生きているものは全て変わり続けるのだから、1年前と同じ状態の人なんて、存在しないと私は思う。
そして、自分の成長を見出したり、認めたり、見過ごしたりするのは自分次第だと思う。私は認めて、十分に褒めてあげたい派の人間だ。
そう思わせてくれた、お姉ちゃんとお姉ちゃんの子供に感謝だ。
◎ ◎
1年がこんなに早いなら、人生なんてあっという間だ。
多分、色んな知識を身につけて、強くなって、やっと生きづらさを克服出来そうと思った頃には体が年老いてパーティーには参加出来ない、みたいなもんなんだろう。
この1年で、色んなやりたいことをやった。子供の頃から思って来たけど、ずっと忘れていた夢に向かってまた挑戦を始めることが出来た1年だった。
中には達成できなかった目標もある。年末にはもう間に合わないだろう。
でも、結果それは私にとってそんなに大切なことではなかったのだろうと思うから、気長に続けていけばいいと、自分を許すことにした。
人はいつ死ぬか分からない。余命宣告されてから何年も生きる人もいれば、子供が突然死んでしまうことだってある。時間は1秒たりとも止まらず、体は老いていく。
やらなければならないことにばかり時間を使って、やりたいことを出来ずに死んでいくなんて絶対に嫌だ、と改めて思う。
◎ ◎
来年もやりたいことをやっていくだけだ。
そのために、健康でいなければ、と強く思う。
今年はもうすぐ終わる。
最後までできる限り自分のやりたいことが出来る時間を確保し、1秒たりとも無駄にせず過ごしたい。
そしてそれと同時に、今年もよく楽しみ、よく生きたねと自分を褒めてあげるのも忘れずに。