夏休みが近づくと教員は、学校という閉ざされた空間だけに成り立つ主従関係を利用し、高圧的に声を荒げ「夏休み前だからって浮かれるな」と、頭にプログラムされているかのように毎年同じことを叫ぶのだった。

何十歳と年の離れた大人が真剣に怒りの感情を見せつける姿を見る度、沢山の子供を目の前に自分の世界に入り込む事のできるパワーを尊敬し、怒りの感情を他人にさらけ出すという行為はひどく下品な様であるという事を静かに学んだ。
そして、そんな大人に不快感を感じては、「弱い犬ほどよく吠える」と、心の中で唱えた。

夏休みは、そんな時間から抜け出すことの出来る小学生時代の大きな楽しみであった。
結果として宿題に関して言えば、6年間の間に"夏休みの友"が私の友になることは一度としてなく、"夏休みの鬱"としていつまでも私の邪魔をしたが、その憂鬱でさえも弾き飛ばしてしまうパワーが小学生の夏休みには存在していた。

◎          ◎

私の両親の夫婦仲は決して良いものではなかったが、子供の夏休みの思い出を良いものにしたい、という思いだけは一致していたようで、毎年夏休みには夢の国へと足を運ばせてくれた。

1983年に開園した東京ディズニーランドは、現在世界に6ヶ所あるディズニーリゾートの中で、3番目に誕生した施設だ。
開園した時には既に大人であった両親は、特別にディズニー作品が大好き、というタイプの人間でもなかったが、私は2歳でディズニーランドデビューをすることになった。
地方に住む私たち家族にとって、それは決して金銭的にも体力的にも楽なものではなかった。交通費、食事代、宿泊費、お土産代、を考えるとかなりの額になった事は想像できた。事実、母に確認した際に毎年恐ろしい額を使ってくれていた事を大人になって知った。
子供の私はお金のことなど考えることはなく、夢の国に足を踏み入れた瞬間から兄弟と共に被り物、ポップコーン、アイス、ジュース、光るオモチャ等をねだった。

私たち子供のテンションに合わせ、はしゃいでくれた両親の姿は、今でも忘れることができない。そしてそれは、凄くありがたい事だったなと感じる。

◎          ◎

そんな思い出からか私は、大人になって夢の国を訪れた際に子供と一緒に楽しんでいる親御さんを見ると、心にジーンと来るものがある。
私は将来、子供を持つことが出来ても、そのような経験を我が子に与えることができるのだろうか。
会社で働き疲れた後、やっと作れた休暇を子供との時間に全力で捧げることができるのだろうか。今の私には金銭的にも精神的にも難易度が高く感じてしまう。

私の母は言う。
「私も楽しかったのよ。子供の成長なんてあっという間だし。一緒に遊んで私の相手をしてくれる時間は短いって分かってたから、楽しい思い出を出来るだけ沢山作れる内に作ってあげたかったの。自己満足な点も多かったかもしれないけど(笑)」

家族で夢の国に足を運ぶことがなくなってからも今までに、彼氏、女友達、兄弟、従兄弟、など色々な人たちと夢の国を多く訪れたが、不思議なことに小学生時代に家族で行った夢の国が1番楽しかった記憶として、今でも私の中に濃く残っている。
恐らくそれは、これから先も塗り変えられることがない気がする。
そんな色んな思い出を振り返ってしまうがために、大人になってから見る夜のパレードは涙腺がとても危険な状態になる。

夏休み、それは今の私にとって静かに両親への感謝を振り返る時間。
夏は家族の季節だった。