夏になるとSNSをジャックするドリンクがある。
それこそがメロンソーダ。
時にシックに、時におしゃれに着飾って、純喫茶から話題のカフェまで幅広くその勢力を拡大している。
随分と偉くなったものだと、メロンソーダの成長に少しだけ寂しくなる。
私が知っているメロンソーダは、アルミ缶に入った、1本100円程度のもの。
そんな素朴なメロンソーダが私の大事な想い出であり、懐かしの味なのだ。

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私の家はいわゆる祖父の影響力が強い、真面目で厳格な家だったらしい。
らしい、と述べたのは、私は祖父のことを怖いと思ったことはないからだ。
孫の私に対しては非常に優しくて、甘い祖父であったことは記憶している。
普段家にいない両親の代わりに、自転車の乗り方も、お箸の持ち方も祖父が教えてくれた。
やらなければならないことに関してはきっちりしていた祖父だが、それ以外は優しく、メリハリのある愛が私には心地よかった。
祖母に関しても、私の好きなことを否定せず応援してくれる優しい祖母だった。
いくら嫌なことがあっても祖母の料理を食べたら忘れる、そのくらい祖母の料理が好きだった。

メロンソーダはそんな祖父母との大切な想い出だ。
私とメロンソーダの出会いは?といえば、おそらく小学生だと思う。
学校終わり、実家の隣にある祖父母の家に向かいランドセルを置く前にやることといえば、冷蔵庫でキンキンに冷えたメロンソーダを飲むことだった。
食に関して私たちに甘かった祖父母。
祖父母の家には、私が大好きなお菓子がいつもたくさん用意されていた。
両親が帰ってきて夜ご飯を食べるまでにお腹がいっぱいなんてこともザラで、口の周りがチョコだらけなんてこともあったらしい(笑)。

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とりわけその中でも私のお気に入りだったのが、メロンソーダだった。
学校で元気に過ごした後に飲むそれは、大人でいうビールのような感覚だったのだろう。
乾いた喉に潤いをもたらすのどごし、そして爽快感にあの頃の私は病みつきになっていた。
帰ってきたらメロンソーダというルーティーンは、実は初めからあったものではなく、裏には知られざる祖父母の苦悩があったことを私は後に知った。

私は食に関しての好き嫌いが激しく、食べれないものが多々あった。
お菓子類に関しては比較的その兆候が少なかったため、祖父母は安心していたという。
しかし、それは突如としてやってきた。
私はせっかく用意してくれていたコーラを、あろうことか飲まずに拒否したのだ。
いわゆる飲まず嫌いを発動し、今日に至るまでコーラという飲み物を一滴も飲んだことがない。
何が理由でコーラを拒否したのかは今となってはよくわからないが、何はともあれ私は用意してくれていたコーラを飲まなかった。
食の好き嫌いが激しかったことを知っていたものの、炭酸飲料、ましてや全人類が好きだと言っても過言ではないコーラを飲まずして拒否されたことは相当の驚きだったようで、その日を境に私が飲むことができる炭酸飲料を探す日々が始まったと後に語っていた。

三ツ矢サイダー、ファンタ、ペプシ等々、学校から帰るとありとあらゆる炭酸飲料が冷蔵庫に並ぶようになった。
しかし、私の炭酸嫌いは思ったより根深かったようで、コーラだけがダメかと思いきやその他の炭酸飲料も1度飲んでみるものの2度と手をつけなかったものも多々あったそう。
そんな炭酸飲料戦争に終わりを告げたのが、そう、メロンソーダだった。

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これもまた不思議なことに、他の炭酸飲料と何が違うのか定かではないが、私はメロンソーダの虜になった。
成長するにつれて徐々にメロンソーダ離れしていき、祖父母がより歳を取ってからはメロンソーダが冷蔵庫に並ぶことは無くなった。
メロンソーダのことなぞすっかり忘れていた私だったが、祖父が亡くなった時に一番に思い出したのがあの頃の記憶だった。

嫌いが多くある私に、好きを与えてくれた祖父母との大切な想い出。
今ではアルミ缶のパッケージもぼんやりとしか思い出せない。
ましてやどこで手に入るのかもわからない、もしかすると2度と飲むことは叶わないかもしれない。
しかし毎年夏になると、メロンソーダを手に取る。
「あの味と違うな〜(笑)」という想いと祖父母との大切な思い出を懐かしむのだ。