これは私がまだ小学校に入る前のお話です。
ある日、私はとても興味深い料理名を耳にしました。スルメ入りの煮しめです。父がひいおばあちゃんの作る煮しめは絶品だと言うのです。
「ひいおばあちゃんの作る煮しめは最高に美味い。スルメが入ってんだよ。スルメ」
父はそう言っていました。

スルメ入りの煮しめ?私は頭の中がはてなでいっぱいになりました。当然、味の想像もつきませんでした。なぜなら当時の私にとってスルメは大人のおつまみ。母から「喉が乾くから食べちゃダメ」と言われていたこともあり、私はイカの干物のようなものという印象しかありませんでした。
しかし、あまりにも父が美味しそうに言うので、私も食べてみたくなりました。ひいおばあちゃん含め私の親戚は隣県に住んでいたため、すぐに会うことは出来なかったのですが、私はひいおばあちゃんに会えるまでの数ヶ月、あの煮しめが食べられるというワクワクが止まりませんでした。

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そしていよいよその日がやってきました。私がお願いすると、ひいおばあちゃんはゆっくりとした足取りで台所に向かい、下拵えをはじめました。私も続いて台所に行き、邪魔にならないところに座り、料理姿のひいおばちゃんをずっと見ていました。

まず野菜を一口大に切ります。ごぼうは笹掻きをし、その後酢水に浸します。大根は面取りをし、こんにゃくは手綱こんにゃくにします。
材料を煮込んだらスルメの出番です。スルメは私が予想していたものよりも遥かに大きく、丸々一匹でした。スルメがある程度柔らかくなったら調味料で味を整え、完成です。
「熱いから気をつけるのよ」
そう言ってひいおばあちゃんは出来立ての煮しめを器についでくれました。一口食べると、出汁の味が口の中いっぱいに広がり、私は思わず笑顔になりました。スルメも大人の食べ物とは思えないほど柔らかく、そして優しい味がしました。
「スルメを入れることによっていい味が出るし、スルメ自体も柔らかくなるから私たちも食べやすいんだよ」
そう言っていました。

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それから約一年後、ひいおばあちゃんは他界しました。あのとき食べたスルメ入りの煮しめの味は今でもかすかに私の頭の中に記憶されています。
もっとしっかりと味わっておけばよかった。レシピを書いておけばよかった。後悔しても仕切れないことはたくさんあります。
実際、子供である祖母が作っても、孫である母が作っても、そしてひ孫の私が作っても、あの味を完璧に再現することは不可能に近いでしょう。しかし、あのときたった一回しか食べられなかったからこそ、貴重な思い出となり、私の記憶の中にずっとずっと刻まれていくのだと思います。

よく、どんなに高価な物、品質の良い物でも、毎日使ったり口にしたりすると価値がわからなくなると言いますが、本当にその通り。“たまに”使用したり食べたりするからこそのありがたみに気づけるのかもしれません。
私の場合、その“たまに”はもうありませんが、一度だけだったからここまでの思い出の味として私の中に残っているのだと思います。

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あれから十数年が経ち、私はもうすぐ十九歳になります。以前に比べ、ファストフードやスナック菓子などを食べる機会が増え、味の濃いものを好むようになりました。自分で調理する際もついつい調味料を入れ過ぎてしまいます。一方、母や祖母が作る和食は味が薄いと感じてしまうこともあります。
しかし、私はそれらの和食は嫌いではありません。むしろ食材本来のおいしさを味わうことができ、大好きな料理です。食材本来の味、出汁の旨味を堪能できるのが和食の醍醐味だと思います。

そして来年にはお酒も飲めるようになり、スルメを肴として愛食する日もそう遠くないと感じます。その度に私はあのスルメ入りの煮しめが脳裏に蘇るでしょう。ひいおばあちゃんの料理姿とともに。