記念日と聞いたら俵万智の世代だ、と自負しているのだが、ネット検索に40代以上の人は通じると書いてあって絶句している。朝のドラマで、国語教師が引用しているシーンを見て記憶の扉が開いた人もいるのではないだろうか。

ボーイフレンドが手料理の美味しさに感動している様子に、歌人は心が動いて短歌にしたのだという。敢えて七夕の前日、7月6日の何もない普通の日が記念日になる尊さは、確かにカップルには響くだろう。好きな人と一緒に体験すれば、特別にならないものなんて何もない。小倉百人一首に該当する歌がないのが不思議である。

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中高生のネット文化が定着した2010年代初頭、mixiに続いて個人用のホームページ開設が流行した。種類は色々あったが、私の周りで一番人気だったのはモバスペである。日記はもちろんのこと、今でいうツイートや写真の投稿もできる、多機能かつ手軽なサイトであった。
色々な人のサイトを見ていくうちに、あるルーティンに気が付いた。一か月に一回、同じ日に「記念日」、もしくは「○か月」というタイトルで、同じ内容の投稿をする人がいるのだ。「今日は何か月記念日でした。これからもよろしく」という極めてシンプルな文面に、プリクラと思しき写真が添えられている。

始めのうちは何のことやらさっぱりわからなかった。他の日付の投稿を読むうちに、どうやら「付き合い始めた日から何か月経ったか」という主旨のものだと気づいた。
単に記念日と呼ぶのは、「お付き合い記念日」だと野暮だし言いにくいということなのかもしれない。
好きな人の存在が日常を特別に変えるサラダ記念日の考え方に、少し似ていると思った。

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文学の世界では、優れた作家の業績は命日に記念されるものらしい。起源は松尾芭蕉の10月12日で、後世の俳句を嗜む学者たちが芭蕉忌という季語を定着させた。以来、太宰治の桜桃忌のように、俳句以外のジャンルでも忌日にファンや専門家が催しをするようになった。

ちなみに、ジャンルとしての記念日の代表例は2月28日。『随想録』の作者であり、エッセイというカテゴリーを確立したモンテーニュの誕生日である。かがみすと諸君にはぜひ覚えておいてほしい。

逆に生きている人の場合だと、サラダ記念日の様に作中の出来事が現実の記念日として定着する例がある。あるいは発売日か。ただ、故人とは違うので色々とセンシティブな事例もある。フランスの文学賞に選ばれた人が、功績を記録した記事を単純過去形(創作物内での出来事や、既に亡くなっている人の行動に使う過去形)で書かれたのに反発した。私は生きていて、これからも書き続けるのに、と。

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さて、現在アマチュアのエッセイストの一派、かがみすとである私だが、その記念日は2月2日である。
まだ死してなお語り継がれる名著を生み出せていない以上、文学忌を祝ってもらうわけにはいかない。となると誕生日が思い浮かぶわけだが、少々違う気がするのである。うまく言えないけれど、人として生を受けた日ともの書きとしての記念日は分けておきたいのだ。
今年の2月2日は、かがみよかがみに私の投稿が最初に載った日だ。

応募のきっかけは非常につまらないもので、就活資金が必要だったのである。年末か年始の頃にFacebookの広告を見た。募集テーマは「2022私の宣言」だった。かがみすと賞に選ばれたエッセイには、お年玉5万円贈呈。魅力的な文字が躍る。

問題提起寄りのエッセイが多い印象を受けたので、正直なところ不安だった。根っからのフェミニストでもなければ、性的指向がマイナーというわけでもない。発達に癖がある、ブランクの多い人生を送っているだけの人間が書いた文章を評価してくれるのか。センセーショナルなことは一切書けないタイプだ。

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結果として、心配無用だった。賞は取れなかったものの、丁寧なフィードバック付きの校正を経て2月2日、私の原稿は日の目を浴びたのである。エッセイストの端くれ、信たまみの誕生記念日だ。宝塚歌劇が好きなので、「自分がタカラジェンヌだったら使いたい名前」をペンネームにした。

相変わらず読者層のカラーに合わない作風だが、それでも何本か採用して頂いているのでありがたい。ニーズや傾向に囚われず選んでくれる編集部には感謝している。この寛容さがあってこそ、信たまみは産声を上げられた。

年齢を考えると、私がかがみすととして投稿できるのはあと数年である。30歳を過ぎたそのあとも、書く意味を見つめ続ける。2月2日は、そんな記念日にしたい。