「仕事なんて、お金のためにやるものなんだから。最短の時間で最低限のことをやれば良いじゃない」
大学生の時に言われて、ひどく衝撃を受けた言葉だった。
そして同時に、「仕事って、本当にそんなものなのか?」と疑問を抱いた。

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大学に入学するまで、私はかなりハードな毎日を送っていた。
膨大な課題が毎日出される、地元で有名なスパルタ高校。そのスパルタぶりに退学者や留年者も比較的多く、精神を追い詰められる生徒は多数。
そんな環境で3年間励んできた。だからこそ、圧倒的な一つの価値観を抱くに至った。
「時間は有限。そして、時間の価値は非常に高い」
膨大な課題をこなしながらも全国クラスの成績を残していく同級生は皆、惜しむように時間を使っていた。登下校中、赤信号で止まるたびに暗記カードを開く。毎朝6時に学校に来て授業前に勉強をする。土日も学校の自習室に来て勉強をする。
そんな環境で過ごした結果、「自分の時間を、価値のある、意味のあるものにできるかは自分次第だ」という考えを持つようになった。

だからこそ、冒頭の言葉が衝撃だった。
「お金のために、いやいやながら1日8時間もの時間を使い、本当に後悔はないのだろうか?」
少なくとも、私は絶対後悔する。
「つまらないけど、お金のため」と割り切って自分の時間を使うなんて、きっと私は後悔する。
そう思い、時間を「自分の成長につながる、意味のある時間」に変えられる、そんな仕事を選んできたつもりだ。

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結果として、仕事はめちゃくちゃ忙しい。アフターシックスは飲み歩く!なんておしゃれな東京生活は決して送れていない。仕事中はいかに仕事をサボれるか考える!なんてことはあり得ない。それなりに時間を使い、それなりに苦労し、それなりに悔しい思いをし、それでも楽しく成長していると感じられるような、そんな毎日を過ごしている。

私と仕事の距離感は、おそらく圧倒的に近い。仕事は脳内の大半を占め、見る人が見れば「そんなに一生懸命にならなくて良いのに……」と思うことだろう。
実際、大学生の時からそういう働き方をしてきた私をみて、「変な子」だという人はたくさんいた。そして、そう言われるたびに、「自分が使う時間を、一生懸命有意義にしたいという気持ちがそんなに悪いことなのだろうか?」と思い、ささやかに傷ついたりもした。

今となっては別に、なんと言われようが大して気にしない。受け流せるくらいには、大人になった。
私のような若者は、もしかしたら珍しいのかもしれない。冒頭のような考えを持つ人の方が世の中には多いのかもしれない。
ただ私は、今日も8時間以上の時間を費やして「良かった!」を心の底から思えるような、そんな仕事がしたい。

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仕事と私の間の「距離感」という表現をすれば、それは「0」とも言えるのかもしれない。
正しく言えば、「0になるほど、楽しい仕事を選んでいる」ということであって、私は有意義な日々を送れている限りは、この0がずっと続くのだろうと、そうワクワクしている。