私と交流がある方はご存じだと思うのだが、私は「言動への責任」に対して非情なくらい厳しい。
それは、たった一つの言葉で、大切な人から受け取った言葉すら信用できなくしてしまうのだから。
私はそれを痛いほど知っている。
私が「言動への責任」を問うようになった根源とも言えるエピソードを紹介しようと思う。

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私立の女子校に通う中学1年生だった頃、以前エッセイ(「先生を独占するための仮面ライダーは10年後、イケオジに活かされた」)でも紹介した“イケメン体育教師”のクラスだった。

その先生のクラスの10人ほどで、放課後の中庭でワイワイ騒ぎながら日向ぼっこをしていると、1つ上の学年でいかにもカースト上位の先輩集団が、教室のバルコニーから中庭を覗きこんで声を掛けてきた。
「少しうるさかったかいな......」と委縮する私たちに、リーダー格のR先輩が第一声を発した。
「キミたちさぁ?〇〇先生のクラスやろぉ〜?楽しかろぉ~?」
「……はいっ!楽しいです!」
とりあえずそう答えるしか出来なかった。
続けてまたR先輩が口を開く。
「そうやんね~?〇〇先生カッコイイし。〇〇先生のこと、好きやろぉ~?」
その質問が飛んできた瞬間、私たち10人ほどは首をひねった。

ここで「はい!」などと言おうものなら目を付けられるだろうな、ということは推察できたからだ。
そこで反応に困って一瞬目をそらした私を、R先輩は見逃さなかった。

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気付けば翌日にはR先輩率いる、カースト上位の先輩集団に目をつけられてしまっていた。
移動教室の時にも4~5人の先輩が、通りざまに私に向かって「ブス!」と吐き捨てる。
私は相手にしたら負けな気がして、聞かないふりをしていたのだが。

その行為はエスカレートし、スクールバスのバス停で見かけられても数人の先輩たちに「ブス!」と罵られるようになった。
挙句の果てに、スクールバスが学校から最寄り駅に着くまでの20分間、「銀ブチメガネのブス」などと、聞こえるように悪口を言われ、彼女たちによる屈辱的な行為が1年近く続いたのだった。
その度に胃酸が喉元まで上がり、後頭部の血の気がサーっと引いていく感覚に襲われた。
あの時のことを思い出すたびに、その症状が未だに出てきてしまう。

そして、父がテレビに映る女性タレントを見て発する「ブスだな〜、コイツ」という一言にすら敏感に反応してしまうようになり、「自分の娘のほうがブスやろが」と、自虐と怒りを関係のない父にぶつけることすらあった。

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それから3年後、高校1年生になった私は、エスカレーター式の女子校に通っていたので、同じくエスカレーター式で付属の高校に進学したR先輩と同じ校舎に通わなければいけなくなった。
ある日、私は先生からの推薦を受けて、高校の部活動で最年少の部長になった。
同時期にR先輩は学園祭実行委員長になっており、顔を合わせる機会が増えてしまった。

その頃の私は「銀ブチメガネのブス」ではなくなり、コンタクトを着用するようになったので、見た目の特徴で揶揄できる部分は少しばかり減っていたと思う。
むしろ、先生方からお墨付きをいただいたことによる「部長」という肩書を手に入れたことが、多少なりとも“心身の強化”を表していたに違いない。

高校1年生の夏に行われた学園祭の準備期間、部長が代表で提出する書類を生徒会室に持ち込むことになっていた。
そこで私は思いがけないことに、6畳くらいの生徒会室で1人で作業をしていたR先輩と1対1で出くわしてしまったのだ。

あの罵られた日々が脳裏をよぎり、心拍数はみるみるうちに上がり、今にも生徒会室から逃げ出したいとさえ思った。
早く書類を預ければR先輩と対峙する時間が短くて済むはずなのに、思うように言葉が出てこない。
「あの、これ、書記の先輩に渡す予定の書類なんですが……」
少し怯えた声でそう伝える私に、R先輩は「あ……、渡しておきます」と、私よりも声を震わせながら、こわばった表情でうつむいていた。

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あの時のR先輩のこわばった声色と表情は忘れられない。
あの様子は察するに「昔、申し訳ないことをしてしまった」という反省が少し滲み出ていたものだったから。
だが、あの時にたった一言、「あの頃、嫌な思いをさせてごめんね」と謝罪してくれていれば、現在、地方タレントとして活躍するR先輩の活躍を少しは応援できていたと思う。

中学1年生の時、R先輩たちから「ブス」と罵られた日々は、未だに自分の顔に自信が持てない原因になっている。
好きな人やラジオのリスナーさんに「可愛い」「綺麗」とどんなに言われても、あの「ブス」と言われた心の傷が“容姿を褒める言葉”を信じさせてくれない。

私がいつかリベンジしたいこと。
それは、地方タレントをするR先輩とお仕事でご一緒して、「あの時は大変お世話になりました」と満面の笑みで伝えることだ。