愛用している歯磨き粉がもうすぐ無くなりそうだったから、仕事終わりにバラエティショップに立ち寄った。
店内に入るとすぐに防災グッズの特設コーナーが目に入る。
目的はここじゃないけど、思わず商品を手に取り、見入ってしまった。
非常食コーナーに見覚えのあるパッケージのアルファ米(炊かなくても水を入れるだけで食べられるご飯のこと)の五目ご飯を見つけた時、一瞬でその味が私の口に蘇ってきた。

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私がこのアルファ米を食べたのは、8年前の6月に遡る。
当時、21歳で就活真っ只中だった私が部長を務めていたサークルの顧問の趣味が登山で、3泊4日の屋久島縦走登山を決行することになった。

屋久島は鹿児島にある離島で、そこでは縄文杉や映画「もののけ姫」のモデルになったともいわれている白谷雲水峡など多くの美しい自然を見ることができる。屋久島登山が趣味なその顧問の目当ては、5月下旬から6月上旬という短い期間にしか見ることが出来ないヤクシマシャクナゲの写真を収めにいくことだった。

「3年に一度ヤクシマシャクナゲの当たり年が来るんだけど、ちょうど今年がその当たり年なんだ。だからいつもは1人で行くけど、せっかくだから学生の君たちにも見てもらいたい」
そう顧問から参加者を募るよう依頼され、顧問と1年生が3人(私の妹も同じサークルに入っていて私が行くなら、と妹も参加を申し込んだ)に私を含めた合計5名で屋久島登山に臨むことになった。

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5月30日、フェリーに乗って屋久島を目指す。
登山経験者はほぼ0で多少の不安はあったものの、顧問の教授もいるからなんとかなるか!と、半分旅行気分で私は後輩たちとフェリーの中から夕陽を眺めたり、夜ご飯を食べたりのんびりと過ごしていた。
しかし、この時の私は24時間後まったく旅行気分じゃいられなくなることを全く予想だにしていなかったのだった。

翌朝、屋久島に到着して早速、2泊3日の屋久島縦走が始まった。
登り始めて最初の頃は体力もあるし、部長としてメンバーの体調を気にかけながら、みんなの登山している姿や風景をたくさんスマホに収めて進んでいった。
雨が多い屋久島だけど私たちが登った時は運よく晴れていて、花之江河という湿原もゆったり歩いて、トーフ岩と呼ばれる不思議な形をした岩の写真もたくさん撮って、おしゃべりしながら楽しく進んでいった。カメラロールでこの日の写真を見返すと、まだみんなの表情も明るいし、笑っている。

しかし、私たちは完全に縦走をなめていた。
山小屋に泊まるため2泊3日分の食料や寝袋を詰め込んだ約10キロのザックを背負いながら様々な傾斜の山道を進むと、どんどん体力は奪われていき、トイレも近くにないため水分補給にも気を遣う。そしてのんびりしすぎたせいか、まだまだ1日目に宿泊予定の山小屋には到着していないのに日が沈み始め、辺りは既に真っ暗だった。
頭にヘッドライトを装着し、写真を撮る余裕もなく(そもそも真っ暗で撮れないけど)、いつのまにか無言で全員が山小屋を目指していた。

山小屋へあと少し、というところで人が、1人入れそうな穴が開いた大きめの岩を渡る必要があった。日中だったら足元が見えるので怖くないし、問題はないはずだった。
だけど今は辺りが真っ暗で頼りになるのはこのヘッドライトだけ。先頭を顧問が歩き、私が最後尾を歩いていた。

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全員が岩場を渡ったのを見届けて次は私の番だ。よし、落ち着いて渡ろう。
下を向き、ヘッドライトで足元を照らす。小さな光だからあまりよく分からないな……。
あれ?

ズボッ。
「わーーーー!!!」

え、全身がとにかく痛い。もしかして落ちた?
足元が上手く照らせなかったせいか、その大きい岩にすっぽり私は落ちてしまった。

「このまま死ぬかも」
本気で一瞬そう思った。だけど、引っかかった自分の姿はあまりにもマヌケだった。
幸い穴もそこまで深くなく、背負っていた十数キロのザックが穴に引っかかってくれたおかげで、私以外の4人に引き上げてもらって助けられた。

その後は記憶もないくらい、真っ暗な道をただひたすらに無言で歩いた。
やっとの思いで山小屋に到着し、食料として持ってきたカロリーメイトをもさもさと食べてその日はさっさと寝た。

翌朝、山小屋を出てみるとピンクや白の美しいヤクシマシャクナゲが一面に咲いていた。
「わ、綺麗……」
昨日は真っ暗だったから気が付かなかったけど、本当に綺麗でしばらく言葉が出なかった。

昨日は散々だったけど、この美しいヤクシマシャクナゲを見れただけで来てよかった、と思えるほどだった。顧問も三脚を取り出し、一生懸命写真を撮っている。
しばらく写真を撮ったり、ヤクシマシャクナゲを眺めたりした後、私たちは山小屋を後にしてまた登山を始めた。
永遠と続くヤクシマシャクナゲの美しい風景や、山々の景色、そしてどんどん高くなる標高。
まだまだここに居たいという気持ちと、目の前に自然しかないこの状況に不安になる気持ちと、半々の不思議な気持ちだった。

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ちょうど平石という休憩所に着いたのでお昼をとることにした。食料として持ってきたアルファ米に小屋で汲んできた水を注いで食べる。
標高1710メートルで目の前は山しかなくて、空がものすごく近く感じる。
そこで食べたアルファ米の五目ご飯は、本当に美味しかった。
あの標高で食べたから、前日に死にそうな思いをしたから、食料としてカロリーメイトとアルファ米しか持っていけなかったから、あんなに美味しく感じたのかもしれないけど、五目ご飯の優しい味が全身をかけめぐってだいぶ元気になった。

休憩をした後は2日目に泊まる山小屋を目指して、前日の経験を生かして黙々と進み、無事に到着できた。最終日には有名な縄文杉や見上げるとハートの形になるウィルソン株、白谷雲水峡を通りながら無事に下山することができた。

縦走未経験で一瞬「死ぬかも」と思ったけれど、美しいヤクシマシャクナゲを見ることも出来たし、何よりあんな高いところで食べた五目ご飯は絶品ということも知れた。8年経った今でも鮮明に思い出すことができるくらい、私の大切な思い出だ。
また登れたらいいなと思いながら、私は手に取った五目ご飯を棚に返した。