「こんばんは。◯君」
なぜ、私達家族の名字を知っていたのか。なぜ、母と娘の女2人で訪れているのに◯君、と呼ぶのか。
謎多き店主が、1人で経営しているお好み焼き屋がある。

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母と私が、そのお好み焼き屋に通っていたのは、私が小学生の頃だ。週に一度、書道教室に通い、その足で食べに行っていた。学校や商店街に近い場所で、高校生の団体もよく食べに来ていた。
何か特別な食材を使っている訳でも、オリジナルメニューがある訳でもない、昔からある古いお店。だが、なぜか毎週食べたくなる、客の入りが気になるお店だった。

母と2人、昔から海鮮が好きだった。海鮮ものが入っているものと、いわゆる広島風のお好み焼きのような、お好み焼きの上に焼きそばが乗っているもの、その2つをいつも注文していた。
海鮮などの素材の味が引き立ち、少し甘めの味付けも絶妙で、生地はふわふわ。提供時間も丁度良く、私は書道、母は仕事の疲れが吹き飛ぶ程、美味しかった。会計時には、客は全員無料で1人1回クジを引き、お菓子やおもちゃを貰って帰った。
5年程通ったため、店主の中で私達は常連客の位置付けだっただろう。いつも注文するものと違うお好み焼きを頼むと、少し焦って作り始める姿も懐かしい。他の客がいない時の世間話も楽しかった。

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中学生になると、時期にもよるが部活動を毎日19時までして、お好み焼き屋に足を運ぶ機会も減った。中学校がお好み焼き屋とは遠い位置にあったこと、書道教室には以前とは違う場所の違う曜日に通っていたのが主な理由だ。
たまに食べたいな、と思って食べに行くと、店主は喜んで迎えてくれた。高校生以降は、ほとんど食べに行く機会がなかった。私達親子が再度来店するには、勇気が必要になってしまった。

「お好み焼き屋の店主」として、お目に掛かる機会はなくなったが、その後も異なる状況で、店主の活躍を目の当たりにしている。
店主は、若い頃から市政や県政における選挙に何度か立候補している。当選は一度きり。選挙の手伝いをしてくれる協力者が見つからないのか、1人で全て行いたいのかは不明だが、選挙カーを自分で運転し、呼びかけ、夜の街頭にポツンと1人で立って演説や手を振っている。選挙ポスターは、写真は載せずに似顔絵のみ、公約などの文章中心であり、他の候補者とは一味違った仕上がりである。

掲げている公約は独特な視点で、支持は集まらない。店主に任せてしまうと市政が変わってしまうのでは、と不安になる程だ。孤立した選挙活動のため、組織票も入らない。ニュースで見る得票数は、他の候補者とは桁違いの少なさ。投票している人の中には、冷やかしも入り混じっているだろう。側からみても勝ち目のない選挙戦に、どうして出るのか。

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私と母は、店主が選挙に出る度に1票を投じる。過去の栄光をもう一度、との気持ちは多少あるだろう。何歳になっても、周囲に後ろ指を指されても、自分の意思を尊重して挑戦し続ける姿はカッコイイ。私なら、人の目や意見を気にしてしまうからだ。
お好み焼き屋の経営に関しても、賃料面で移転を検討していたが、結局は現在も同じ場所で経営しているようだ。常連客や立地など、色々鑑みた結果だろう。店主は恐らく70代に突入し、私がお好み焼きを頻繁に食べに行っていた時とは、まるで見た目が変わってしまった。疲れや年齢など、理由は様々だろうが、少し心配だ。

いつまで、私が地元にいるのか、母や店主が元気で、店主がお好み焼き屋を経営するかは分からない。店主が選挙に出ることで、一種の生存確認にもなっている。
ふと、母と「あの店主、元気かな?お好み焼き、また食べに行きたいね」と話をする機会がある。時を経て、お互いに歳を重ねた今、店主とまた話をしたいし、お店に行ってお好み焼きを食べたい。
「懐かしい。何も変わってない」と胸を撫で下ろしたい。