年始に立てた目標を達成できる人って、どれくらいいるんだろう。
「高校に合格する」「甘い物を食べない日を作る」「毎日ストレッチをする」……今まで27年生きてきて、達成した新年の抱負なんて片手で数えられるほどしかない。
そんな私が今年の年末に絶対にやらないといけないことがある。
何かの宗教では神様が女性に与えた試練、現代の医学でも命がけといわれる行為。
私たち夫婦にとっては奇跡に近く、不安と感動にあふれた280日間。
2022年12月、私は子供を産む。
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2021年冬、結婚式の延期や夫の泊まり込みの研修、転勤と様々な理由があって、私たちにはまだ子供がいなかった。
そろそろ子供が欲しい、ちょっぴり何かがおかしいと感じていた私は、彼を連れて不妊治療の病院へブライダルチェックに行った。
結果私は排卵はしているものの多のう胞性卵巣の傾向があり、彼は持病により遺伝子がほとんど死んでいる状態で、自然妊娠は絶望的な状況だった。
それからというもの、毎月経腟エコーをして排卵のタイミングを図り、排卵しやすくなる薬や着床しやすくなる薬を飲んだ。副作用で生理が重くなり下着を汚したり、吐いたりした。
たった1回で診察代が5万円を超えた時もあった。
世帯用の社宅で、子供を見るのが辛かった。「ヤればデキる」夫婦が羨ましかった。
初めての人工授精が失敗に終わったあたりから、彼が私に小さなお土産を買ってくるようになった。カラフルなお菓子、可愛い小物、コンビニスイーツ、造花のブーケ。
何でもない日にもらうプレゼント。普通の女性だったら喜んで受け取ると思う。でも、あの時の私は素直に受け取れなかった。
物をもらうよりも治療にもう少し力を入れてほしい。子供ができないのは彼の遺伝子のせいなのに、痛い思いをするのは私ばかり。贖罪の品に囲まれて横になる。
この中に、私が欲しいものはない。
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そんな状態だったからこそ、4月に自然妊娠が分かった時は二人で泣いて喜んだ。
ようやく来てくれた宝物。今までの人生であんなに嬉しかったことがあっただろうか。
妊娠判明後すぐに吐きづわりが始まっても、嘔吐する苦しさよりも妊娠を実感できる嬉しさが勝っていた。水が飲めなくなり、血管から入れた栄養剤さえ吐くような状態でも、子供のためなら耐えられた。
5月の私の誕生日、今まではお祝いしてもらう日だったけれど、今年からは母が大変な思いをして私を生んでくれた日に変わった。
7月に小さな胎動を初めて感じた時には、二人でお腹に手を当てて次はいつ動くか、どんな風に動くかずっと楽しみにしていた。
穏やかで幸せな時間だった。
コロナにかかっても、謎の腹痛でのたうち回っても、真っ先に思うのはお腹の中の我が子のこと。会ったこともない、まだ戸籍もない人間を、自分よりも大切に思うことが人生であと何回あるんだろう。
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お腹の中にいてくれるのも、あと1か月少々。
予定日までまだ時間があるからかもしれないけど、不思議なことに出産に対して恐怖は全く感じていない。むしろ早く愛おしい我が子に会いたくてたまらない。
「こんな時代に子供を産むこと自体が虐待」と考える人もいるだろう。私も完璧な母親になれる自信はあまりない。
でも妊活中から今に至るまで献身的に支えてくれた彼と、これから生まれる子供と「幸せに生きる」という目標のための覚悟はある。
子供を授かり無事に生むという2022年の抱負を達成して、来年以降につないでいきたい。
予定日が12月半ばだから、どんなに遅れたとしても生まずに2023年を迎えることはない。逆に言えば、産まなきゃ年は越せないのである。
どうか3人で良いお年をお迎えできますように。
今また一つ、大きな胎動を感じた。