大学時代の親友が、電話の向こうで泣いていた。
私の代わりに泣いていた。
涙ながらに言った彼女の言葉が、今も心に残っている。

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私はどちらかというと完璧主義者だった。負けず嫌いなところもあり、なんだってできるという風を装っていた。
苦手なことでも、やらなければならないと自分で奮い立たせて取り組んでいた。仕事だから、やらないといけないからと自分にムチを打った。
社会人1年目の私は、当然社会人10年目や20年目の人より劣る。だからこそ熱意や努力でカバーしなければと必死になって働いた。自分の体が壊れていくことを感じながらも必死に働いた。

私は大学卒業後、小学校教員になった。理科の専科を任され、教材研究に力を入れた。
もうそれは、博士の一歩手前ではなかろうかというレベルで研究をした。
モンシロチョウの観察のために、幼虫を20匹近く飼育した。パソコンで夜遅くまで調べ、羽化の時期や成長過程をまとめ上げた。スケッチもして、細部まで鮮明に描き、気づけばモンシロチョウの蛹を見ただけで、これは明日の朝に羽化すると見分けられるレベルに到達していた。

夜は2時に寝て朝は5時に起き、羽化の撮影をする。羽化の撮影は3回成功した。子どもたちに羽化の様子を見せると歓声が上がった。
これだ。

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10年目や20年目の人の力には敵わないけど、私の教材研究に対する意識の高さは敵う部分があるかもしれない。授業用のプリントは子どもたちが興味を惹くように自分で全て手作りし、イラストも手描きで添えた。磁石が付く実験も電気を通す実験も、自宅で様々なもので試し、実験を楽しめるように模索した。

でも、学校現場は自分の授業をやれば良い、自分の仕事をやれば良い場所ではなかった。
研修や会議、学校運営に関わる業務の山。上司から仕事を押し付けられ、パワハラもセクハラもあった。でも社会人1年目で立場の弱い私はどうすることもできなかった。

無理に無理を重ねて私は自宅で倒れた。高熱で立てなくなった。母に救急車を呼ばれそうになったが、仕事に穴を空けてしまうと必死に止めた。
体にいろんなガタがきて、地元の病院で2度も紹介文を書かれた。ここでは治せないと。月にかかるお金は医療費が一番高くなり、身も心もボロボロだった。

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そんな時、大学の親友からたまたまメッセージが届いた。
「わかちゃん、最近どう?元気にしてる?」
元気にしていない。最近も何も、もう仕事でズタボロだ。でもどうメッセージを返していいかわからず、今の自分の状況や出来事を電話で話すことにした。

話をしていくと、親友が泣いていた。
助けてあげられなくて……ごめんねと泣いていた。
彼女の言葉に私も涙を流した。
その時彼女がこう言った。
「仕事は120%やる必要なんてない。80%なんなら70%で大丈夫。ましてやわかちゃんはいつだって真剣に物事に向き合える人なんだもん。誰も無理してやれなんて言えないし、言っちゃいけないと思う。頑張っている人に無理させる方がおかしいんだから」
彼女の言葉が身に染みた。彼女の優しさに救われた。そして気づいた。

そうか、私は頑張りすぎていたんだ。仕事に120%注いでしまっていたんだ。自分の人生なのに、いつの間にか仕事に支配されていたんだ。

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仕事を一生懸命にやりすぎていませんか?
誰かのために必死になりすぎていませんか?
私のように身も心も壊さないように、親友が言ってくれた言葉を頑張りすぎている人に言いたい。

「120%やる必要なんてない。80%なんなら70%で大丈夫!」
長い人生、頑張りすぎる必要はなく、自分のペースで少しずつ歩んで行けたらいいんだって伝えたい。