エッセイにて何度か登場しているわたしの上司、仕事ができないくせに役職持ちだとか、新入社員のわたしでもわかるくらい部下の扱いができていないとか、本当にどうしようもない人である。
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わたしは、社内の派遣社員的な役割で、日毎に違う部署に行ってその業務やら雑務やらを担っているのだが、その上司のせいで、その上司の部署が大嫌いである。
大嫌いだし、信用もしていない。
だってお前たちもその上司の指示に従って、へらへら媚び諂っているだろう?(もちろん、仕事なので上司の指示に従うことは当然であり、みんながみんな、媚び諂っているということはない)
わたしだってお給料をいただいて働いている身であるし、その業務も会社の向こう側にいるお客さまのためであるので、上司やその部署がどんなに嫌だからってあからさまに行かない、仕事をしないなんてことはないし、手を抜いているつもりもない。
ただ、本当に大嫌いなので、必要以上にその場にいたくないし、必要以上にその部署の人たちと関わりたくないのである。
だから、与えられた業務をさっさとこなして、さっさと去る、というのがその部署で業務に当たる時のわたしの信条であった。
だが、どうやらそれが彼らには不満らしい。
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そのポンコツな上司が本当に使い物にならないので、言っていることが二転三転したり、上司と別の人とで言っていることが真逆だったり、そもそも会話が成立していないなんてことがあまりにも多すぎるのである。
わけがわからないし、そんなことではこちらも業務に取り組めないので、何度も聞き返したり確認したり、時には言い返して喧嘩のようになったりもしたことがあった。
おそらく、上司はわたしのことが嫌いである。
だから、その部下どもも、わたしのことを嫌っているのではないかと見ている。
だがしかし、である。
「お前たちに好かれるために生きているわけがないだろ」
というのが、わたしの人間関係における信条の一つなのだ。
中学生、いや、小学生のときからそんなスタンスで生きてきた。
そのため、全く関わったことのない人からものすごく嫌われていたことも多々あったが、「別にお前に好かれるために生きていない」ので、気にしたこともなかった。
なんなら、「わたしだってお前たちが嫌いだもん。どうぞわたしのことなんか嫌ってくれ」とすら思う。
今までもこれからも、どこにいても、この信条は曲げることはないと思っていた。
ところが、仕事となると、話は違うようだった。
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わたしが尊敬している方の上司はこう言った。
「それであなたが損するのはもったいないでしょう」
「"味方でない"と思う所ほど、うまく立ち回んなさい」
人間関係とは、なんと複雑なんだろうか。
「お前たちに好かれるために生きているわけがない」のに、「わたしもお前たちが嫌いだから、お前たちもどうぞ嫌ってください」という態度でいると、どんなにきちんと業務をこなしていても、評価されないらしい。
評価に私情を挟むなんて、ほんっとちいせえ奴、というのが正直な感想ではあるが、同僚や先輩、後輩とも適度に適切な関係をもつことも業務の一つと言われてしまえばそれまでで。
ぐうの音も出せないのである。
もちろん、「お前たちに好かれるために生きているわけがない」。
心の距離はそれでいい。
でも、仕事との距離になると、せめて「あなたたちのこと嫌いじゃないよ」ということにしておく方が最も自分のためになるようである。
敵ではないかもしれないけれど、絶対に味方ではない、と思う人ほど。