私は子供の頃から物欲がほとんど無かった。何が欲しい?と聞かれても、何も思い浮かばず、両親や祖父母をがっかりさせていた。

70代の義母は私とは正反対だ。
富裕層なわけでもないのに、今からこんなにお金を使って、老後の資金とか大丈夫なんだろうか……。
そんな余計なお世話を焼いてしまうほどに、ためらいなく財布を開き、湯水のようにお金を使う。

たくさん稼いで、たくさん消費、それは豊かさと幸せの象徴?

「欲しいものが無いなんて信じられないわ!若い頃なんて欲しいものだらけのはずよ!本当に何もないの?遠慮してるだけじゃあないの?」
私が「欲しいものは特にない」と答える度に、義母は「信じられない」と何度も繰り返す。
「必要かどうかじゃないの、買い物することそのものが幸せなの!だって物がたくさんあるって素敵なことでしょ?」

「コロナでお買い物があんまりできなくて、私もう気が狂いそうよ!」
そう嘆く義母に連れられて、何年かぶりに百貨店へ足を運んだ。
平日昼間の百貨店は、高齢者で賑わっていた。皆気持ちのいいくらい、ためらいなく次々と商品をカゴに入れていく。

若者は全くと言っていいほど、いない。40代のマダムがちらほらいるくらいだろうか。
なんだか肩身の狭い思いをしながら、特に買いたいものもなく、義母の後をおとなしくついて歩く。
あぁ、私と同じ若い人達は、今頃みんな働いてお金を稼いでいるんだろうな……。
専業主婦になって、お金を消費するばかりの生活に罪悪感が芽生え、胸がチクッとする。

たくさん働いて、たくさん稼いで、たくさん消費する。お金を持っている、買える。
それはきっと力と豊かさの象徴だったのだろう。

安く手に入れるのが楽しい。我が子の服さえケチってしまう私

思えば主婦になる前から、趣味は貯金、と言わんばかりに貯めこんでいた。

本を読むときは中古で買ったり、図書館で借りたり、電子書籍でまれに買うのみ。
旅行に行く時は最安値の時期と格安航空券を何ヵ月も前から予約し、さらに割引を狙う。
そして、最も高くなる時期の料金表と見比べ、○万円も浮かせた!とほくそ笑む。

とことんケチな私を「そんなの、子供が産まれたら変わるわよ、子供のためならいくらでもお金出しちゃうんだから!可愛いベビー服とか大量に買い込んじゃうんだから!」と周囲は笑い飛ばす。

本当かなぁ……。まだ我が子に対面していないので、いまいち実感がわかない。
ベビーカーやベビーシート、ベッド、消耗品……子供を迎える準備には、万単位でお金がかかる。
え、こんなにたくさん買うものがあるの?こんなにお金がかかるの?出産費用でさえ42万円では足りず、20万ほど足が出る予定なのに……。

可愛いベビー服を買おうなんて気持ちは瞬時に消えた。
中古品でいいや。どうせ服なんてすぐ汚れるし、サイズが合わなくなるし……。

お金を使わなくても幸せ、でも、貯金があっても不安

私は一体何になら気持ちよく前向きにお金を使いたいと思えるのだろう。

好きなアーティストのためでさえ、出し渋ってしまう。
「本当はたいして好きじゃないんでしょ?」「本当にファンなの?」
と言われるが、決してそんなことはないし、応援しようという気が無いわけでもないのだ。数千円、時に数万円のお金を払おうとする瞬間に、すっと熱が冷めてしまう。熱心に追いかけてお金をたくさん使うことだけが「好き」の気持ちや「応援」の表明なんだろうか、なんて屁理屈が頭に浮かぶ。

経済的に困窮してるわけでもないのに出し渋るなんて、私は心が貧しいのではないか。
気にせず使える貯金があったら気分も変わるかと思い、自分の好きに使っていい貯金を作ってみた。口座を新たに開設し、60万ほど貯めた。
しかし、手付かずのまま4年ほど経過し、今も使う予定はたっていない。

無理にお金を使う必要はないのは分かっているし、質素な生活も性に合っていて不満はない。貯金も少しずつだけれど着実に貯まっていっている。

ただ、どれだけ貯めても将来への漠然とした不安はそのままなのだ。
子育ては?学費は?家族が急に病気になったら?何歳まで働ける?老後は?

個人年金や投資信託に手を出してみたものの、いまいちピンとこない。
「お金」というものをどこまで信用していいのだろう。

「お買い物って、本当に楽しいわね!」とはつらつとした笑顔で言う義母の横で、ショーウィンドウに映る自分の暗い顔に、うんざりする。