赤の他人と一緒に暮らすって難しい。
これが、20代前半女性である私の素直な感想だ。

3年間付き合っていた元恋人と半同棲状態だったくらいで、血のつながった家族以外と長期にわたって生活を共にしたことはまだないけれど、一緒に暮らすって本当に難しいと思う。
それは一人で暮らしてきた時間が長ければ長いほど、「自分の暮らし方」が確立されているから、誰かと生活スタイルを合わせることが難しくなる気がする。

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大人になって、異性の恋人の部屋に出入りするようになってから、「他人と一緒に暮らすことの難しさ」を実感した。
出入りしたことがある異性の恋人の部屋の数は、片手に収まるくらいだ。
愛し合う関係性だからこそ、お互いが好きだからこそ、「靴下を床に脱ぎ捨てないでよ」が言えないし、「それ、私は嫌だから、直してよ」という一言が言い出せない。
言わなければ伝わらないと分かっているのに。
「本当はそれやってほしくないけど、恋人だから気を遣って言えなかった」の連続だった。

ある元恋人の話。
彼は、バックやリュックサックはベッドの上には置かずに、床に置いてほしいという人だった。
ベッドの上に私が座ることは大丈夫らしかった。
「家に帰ると、まずベッドの上にバックを置く」派の私にとっては、「えっ、人は座っていいのになぜバックはだめなの」と正直、疑問だらけだったし、これが彼にとって嫌なことだと彼が教えてくれたのは、付き合い始めてから半年以上経っていた時だった。
10回以上は彼の部屋を訪れていたはずなのに、家デートもしたし、一緒に在宅勤務もしていたのに、正直「何をいまさら」と思った。

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また別の元恋人は、どんなに寒い日でも、気温がたとえ氷点下だったとしても、寝る前には必ず一度窓を開けて換気をする人だった。
「寒いのになんで」と思いながら、窓を閉めて戻ってきてくれる彼をベッドの上で待っていたのは私だ。
なぜなのかは聞けなかったけれど、きっと彼の習慣なのだろう。
都会のど真ん中に生まれ育った私にとっては、雪と言えば、都心部の交通機関が乱れる要因でしかなく。
雪国での生き方を当時まだ知らなかった。反対に、雪原のなかで駆け回る飼い犬を見て育った彼は、また一味違った冬の過ごし方を知っていた。
「寒いから窓開けないでよ」の一言が言えなかった。
きっと大親友相手なら言えていただろう。
あの時、「寒いのになんで窓開けるの」と聞けていたら、もっとお互いのことが理解しあえていたのかもしれない。「私のことちっとも理解していない」という捨てセリフとともに別れることも回避できていたのかもしれない。

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他方、私の今の恋人は、高校の同級生とルームシェアをしていて、いつもその話を聞くのが楽しみだ。
この前は、男2人で、夜からチャーシューを手作りしたらしい。
22時頃、私はシャワーを終えてスマホを見ると、圧力鍋で煮込まれている豚バラブロックの写真が送られてきていたから、思わず笑ってしまった。
「なんで平日夜の仕事終わりにそんな時間かかる料理してるの?」と笑ってLINEすると、「豚バラブロックが安かったから買ってきた。そしたら、ルームメイトが『今から作る?』って言うから」と返信が。苦笑いの絵文字つきで。
ルームメイトの思いつきに振りまわれているように見えるけれど、「断りたいときはきっぱり断る」性格の彼だから、断らずにせっせとチャーシューを作るからには、きっと少しは楽しんでいるはずだ。

手作りチャーシューをのせたラーメンは夜食ではなく、翌日の昼食になったらしい。
ラーメンの写真と共に「美味しく食べたよ」というLINEが届く。
「夜中にチャーシュー作りなんて面倒だな」と思うけれど、「一緒にやるとなんだか笑顔になって、結局は美味しいし楽しくなる」から、誰かと共に行う作業に、共同生活に価値を見出すのだと思う。

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私もいつか今の彼と夜中にチャーシュー作りをしてみたい。
真夜中の洗い物なんて絶対に面倒くさいし、チャーシューが完成しても真夜中には食べられない。
それでも、一緒に夜中に料理をしようと思えるような相手なら、その共同生活は成功なのではないかと思う。
一人での食事よりは、誰かが目の前にいて一緒に食べてくれる食事の方が美味しく感じるし、誰かが同じ空間で生活するからこそ生まれる生活音がある。

一緒に暮らすことで解消される不安もあれば、一緒に暮らすことで新たに生まれる不満もある。
一緒に暮らすことで生まれる幸せもあれば、一緒に暮らすことで共有しなければいけなくなる不幸せもある。
だけれど、自分を見守ってくれる誰かと一緒の空間で生活し、お互いの生活スタイルを隠すことなく、うまく調和させることができたら、結局は楽しくなるのだ。