リベンジしたいこと。考えてみたけど、なかなか思いつかない。
見逃したテレビ番組、買えなかったグッズ、予約できなかったレストラン……。
リベンジしたいと思うほど、そこまで悔しくはない。まあ仕方ない、と流すことが多い。

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そもそもリベンジってなんだろう。ネットの辞書で改めて調べてみた。
「復讐すること。報復。仇討ち。また、競技で、一度敗れたことのある相手を打ち負かすこと。借りを返すこと」。なるほど。普段何気なく、ライトに使っている言葉だけど、本来の意味は結構ヘビーだ。

辞書通りの意味でリベンジを考えると、リベンジしたいことって、今の私にはない。
物心ついた時から現在に至るまで、人や物事に対して憤りを感じたことは何度もある。でも、復讐したいと思ったことはない。
時間が解決してくれるのだ。スパンは長いことも短いこともあるが、時間は私の味方でいてくれる。最終的に忘れてしまったり、諦めがつくのだ。私だけでなく、他の人にも当てはまるかもしれない。

私がこれまで怒りや悲しみを感じた場面を、フラッシュバックしない程度に振り返ってみた。思い返すと、その出来事が発生するたびに、私は一人反省会をしていることに気がついた。そして思った。
「一人反省会って、私による、私に対するリベンジなのではないか」と。

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一人反省会は、無意識で行っている私の習慣の一つだ。一日の終わり、ベッドの中で「ああすればよかった、こうすればよかった」と悶々と考え、後悔しながら眠りについてしまう。翌日、反省した内容を少しスッキリした頭の片隅に置く。こうして新しい一日が始まるのだ。
そう考えると、後悔の矛先を自分に向けているのかもしれない。極端に言うと、自分に対してリベンジをしているのだ。
自分の発言や行動によって、周囲の人を傷つけたかもしれない、迷惑をかけたかもしれない、と常々想像する。そして相手が抱いたであろうネガティブな感情を脳内でつくり上げ、それが自分を責めてしまうのだ。
想像を巡らせて、ネガティブな影響を与えないよう先回りした言動を心がけても、結局何かしらの反省はしてしまう。思い返すと、10代の頃から一人反省会を行っていたと思う。

きっとこれからも、一人反省会は続いていくと思うし、その度に自分に嫌気がさしてしまうだろう。そして、自分で自分に対し、リベンジしていくのだ。

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少し話はずれるが、一人反省会は長女の特徴として挙げられる。きょうだいで一番上なのだからしっかりしなければ、という長女特有の思考のせいだろう。私も二人きょうだいの長女だから、一人反省会をする習慣があってもおかしくはない。

しかし、それだけではない。地理的にも、人脈的にも閉鎖された環境で育った私は、物心ついた時から周囲の目を気にしていた。

褒められたいから、いい子にならなきゃ。いい子になるには、勉強を頑張らなきゃ。人に優しくならなきゃ。
頭がいいって、優しいって言われるようになった。いい子のままでいなきゃ。
いい子が「都合のいい子」になってた。それでも私はいい子でいなきゃ。
校則を破ってしまい、先生に怒られた。「お前はみんなのお手本なんだから、しっかりしなさい」と言われた。このままでいいのかな。

いい子の道を外れてもいいのかな、と思った頃には、もうそれなりの年齢になっていた。いい子に縛られることは現在ほぼないが、一人反省会が日常化しているのはこの経験の名残なのだと思う。

だから、私をこういう性格にした環境や周囲の人々には、心の中で、少しだけ唾を吐いてもいいかな?これが私のささやかなリベンジだ。