文章を書くのが好きだ。
それは、話すのが上手くない私がなにか表現をする手段が、それしかなかったからでもある。
子どもの頃に場面緘黙だった私は、人と話す時に口籠もったり顔を赤くしてしまうことが未だにある。私にとって書くことすらままならなければ、自分の思いを伝えることができないし、自分のもっている情報を誰かに与えることもできない。それは自分の存在価値を左右するような問題だった。

本に逃げるようになったのは、中学生になった頃だ。
女子校に入り、初等部から上がってきた子の輪にうまく溶け込まなければならなかったが、自信のある女子ばかりの中で私はどう友達を作ればよいか分からず、荒漠とした毎日に絶望するしかなかった。
そんな情けなさを隠すため、私はいつも本の世界に逃げ込んだ。図書館で毎週二冊本を借りて、休み時間や行き帰りのバスで読み耽る。そのうち、おとなしいグループに入ってなんとなくやり過ごすことを覚えたが、彼女たちと気が合っているとはあまり思えなかった。

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心の澱を吐き出すために、当時ブログ運営サイトで細々と小説を書き始めた。小さなサイトだったが、書き続けるうちに、その小説はサイトの足あとランキングに入るまでになっていた。そんな小説を書いていることは、友達にも家族にも話していなかった。
そんな生活のなか、物書きになりたいという夢を抱くのはまったく不思議なことではなかったと思う。

書くことを志していざ文学部に入ったはいいものの、連日の飲み会やサークルのイベント(相変わらず浮いていた)、アルバイト(それなりのブラックだった)に日夜明け暮れていたら、そんな夢などすっかり忘れてしまっていた。私はとにかく「普通」になりたかった。「普通」に話せるよう、授業やアルバイトも、プレゼンが多い授業や接客のアルバイトなど、話さないとならないようなものばかり選んでいた。
とにかく輪に馴染まなければいけないと躍起になり、なにか書くことも忘れ、詰まる言葉をどうにか紡いで笑顔で振る舞った。
中高時代に人から離れて仙人のような生活をしていた私は完全に世間離れしてしまっており、そのチューニングに日々腐心した。

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また書くことを始めたのは、社会人になってからだ。
私は総合的に能力が低いようで、働き出すとそれはまざまざと現実味を帯びてきた。しんどくなった時に自分の身に起こったことを整理するため、少しずつ日々の出来事について書き出すようになったのだ。

職場では何事も自分よりできる人ばかりだった。周りに対してだんだん劣等感を募らせるようになり、「さっきの一言は自分への嫌味だ」「あの人たちは私の悪口を言っていた」という被害妄想さながらの認知の歪みを起こすようになった。
自分なりに精神医学などを調べていくうちに、情緒の安定には、自分にあったことをひとまず書いて客観視することがよいと知り、日記のようなものを少しずつ書くようになった。

考えてみたら、話すことも書くこともしていなかった私には、アウトプットの機会がほぼなかった。当然ながら仕事もなかなか覚えられないはずだし、憂さが募って気持ちが塞ぎ込むはずだ。
書き始めたことにより、前向きにもなった。最近は、またなにか物語を書くまでになりたいと思うことがある。
書くことによってまた、あのときの夢に明かりがついたようで嬉しい。