「1年でほんとに劇的に変わったよね」
友達に言われた言葉だ。自分では全くそんな感覚はなく、地元に戻って1年。当初は、外から異動してきた自分はまるで部外者のように思われて、職場に自分が存在していることが辛いくらいしんどかった仕事も、今では同僚のパーソナルな部分を知り、多少の信頼をもってもらって、やっと馴染めてきた、といった感じだろうか。
もう一つ、親友が「劇的に変わった」と言うのは、1年前は失恋で傷心していた自分に、今は彼氏がいて、近い将来結婚する予定であるということだ。世間体から見ればスピード早いな~、なんて思われるのだろうか。
でも本当に変わったのかな。変わるってどういうことなのだろう。自分に向けた、いろんな変わりたい想い。

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変われた自分。それはパートナーに任せることができるようになった自分だ。
彼氏とどこに行きたい、何をしたい、というのはもちろんあるけど、それ以上に彼と過ごせる時間があればよいや、あなたはどう思う?と、委ねられるようになった。
過去の恋愛では、デートプランは基本自分が行きたい場所を選ぶ。彼氏の気持ちを置き去りにしてしまっていたなあと、今は思う。ふたりであっても、独りよがりだったのだと思う。
だけど、純粋に今は、一緒に話して決めて、ふたりで楽しむことができている。時には「任せるよ」と、自己中心的な自分を押さえることができている。
だけど、それは受け止めてくれる彼氏の技量でもあるし、相性の良さは本当に重要で、自分勝手な私を変えてくれたのは、彼氏なのかもしれない。

ある芸人と結婚した女優さんが言っていた言葉がずっとひっかかっていた。「『誰を好きか』より『誰といるときの自分が好きか』」という言葉。
正直、この言葉が真意であることは分かっていた。旦那さんと共に並ぶ、幸せそうな彼女の、この言葉は真実だと。だけど、当時の自分はむしろ真逆。彼といるときの自分は、すごく高圧的で、ついつい優しすぎる彼の愛に甘えて、傷つけるような言葉をぶつけてしまっていた。素直に好きと伝えることができなかった。
絶対、私たち上手くいかないだろうな。私、彼のことは好きだけど、彼といるときの自分のこと、好きじゃない。

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私は今の自分が好きだ。彼といるときの自分のことも。もちろん、彼のことは、もっと好きだ。
今の彼も言う。最初はかなり、自分に向けても高圧的だったと。本当にマイルドになったよ、と出会ってから1年も経過していない彼に言われるのは、笑ってしまう。まさに「劇的な変化」なのかもしれない。

「いつも癒しをもらっているよ。だから頑張れる!」
そんな言葉を毎日のようにかけてくれる彼がいると、「私なんて」と思っていた私も、今は「私は誰かの力になれているのだなあ」と、自分自身のことも大好きになれた。
自分で、自分の存在価値を実感できるひともいれば、他人に評価されてやっと自分の存在価値を見出せる人もいて。私は後者であることに薄々気づいていたけれど、彼と出会って、それが確信になった。

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この先、変わりたい自分。それは自分の存在価値を自分のものさしで測れるようになることだ。
いくらがむしゃらに頑張っても、やっぱり自分ってだめだ、という感情が物心ついた頃からずっとあった。社会に出ても、自分の成した仕事を、自信をもって上司に報告できる同僚と、上司に詰められて徐々に声が小さくなっていく私。だけど、この自信の無さが自分の頑張る原動力になった。大好きな人に応援されることも嬉しいけど、何よりも自分のした努力が一番の自信の源だった。
だけど、本当に変わったほうがいいのかな、変わりたいのかな、と思う自分もいる。
自信がないことが頑張れる原動力になるならそのままでいい。自分の頑張りを横で見て、認めてくれる彼がいて、逆に私は大切な人の頑張りを認める。
独りよがりだった自分が、「お互いさま」の関係を築けるようになったこと、彼といるときの自分を好きになれたことを素直に変われたと認めてあげても良いのかもしれない。