私はアセクシャル(無性愛者)だ。恋愛感情はあっても他人に性欲を向けることはない。恋愛感情じたいもかなり希薄な方である。
ところで、今までの人生において印象深かった他者の言葉に以下のものがある(アイウエオ順)。
「彼氏できたことないからそう思ってるだけだよ!」
「きっと良い人見つかるよ!がんばれ!」
「性欲とかないの?」
ひとつ目のセリフは彼氏の有無を訊かれた際に「恋愛はあまりピンと来なくて」などと答えると高確率で返ってくる。しかしこれでも交際経験はあるのだ(とはいえほんの数回である)。
初めて彼氏ができたときは嬉しかったし、交際の持続を心から願っていた。だが、ダメだった。驚いたことに恋愛感情は性欲と結びつく必要があり、好きであると相手に証明するためにはキスやセックスをしなければならなかったのである。それが世間の「ふつう」だということは、恋愛ドラマのキスシーンや女性誌のセックス特集を見れば明白だった。
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なんとかして世間の「ふつう」に合わせようとした。というより、彼氏の要求に応えようとした。だがダメなものはダメだったので、性欲丸出しな彼氏の様子――鼻の穴を膨らませ、人の服をむしり取ろうとし、荒い呼吸を隠そうともしない――に対し、本気の「オエェッ!」が出た。
ベッドから逃げて便所で嘔吐する私の後ろ姿を見た彼氏は「男としての自信を無くした」と悲しそうに言い、そして破局した。セックスで女性に受け入れられねば得られない自信というのが、男性にはあるらしい。とても申し訳ない気持ちになった。
他者の自信を奪ったことに落ち込む私を、友人たちは励ましてくれた。その一環が冒頭の「きっと良い人見つかるよ!がんばれ!」である。
私も大いに勇気づけられ、がんばろうと心に決めた。ひょっとすると別の男性となら上手くいくかもしれないし、当時は世間の「ふつう」から逸脱するのがまずいような気もしていたのだ。しかし毎回、いざセックスという段階で必ず耐えきれなくなり、私は自分が性愛を持たないのだと気付いた。
私はセックスなど望んでいなかった。愛の証明としてセックスをする必要性が理解できない。並んで歩くこと、ふたりで映画を観ること、一緒に食事をすること、たわいないおしゃべりに興じること。それでじゅうぶん幸福だった。
しかし、世間的にそれらはセックスのための予備動作、助走であり、幸福のサビはセックスであるらしい。
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私も性欲が皆無とは言わないが、根本的なところで世間とずれがある。私にとっての性欲は排泄物と同義なのだ。出す必要はあるが、人に見せるべきでないもの。だから性欲を人にぶつけるのは、自分の排泄物をひっつかんで人にぶつけるのと同じくらい無礼で非常識に感じる。
だが、性欲と排泄物を同一視する人間はあまり多くないようだった。交際相手に対して性欲を露わにすることがこの世のルールらしかった。それを理解していくにつれ、どうしたって世間の「ふつう」に合流できないと自覚した。
意外にも、アセクシャルな自分を受容することは容易だった。自分が性的少数者だと認めるには莫大な葛藤が必要だと考えていたので、あまりのあっけなさに拍子抜けするほどだった。
しかし、世間の「ふつう」になろうとしていた時の方がよっぽど葛藤し苦しんでいた。過去の自分が世間の「ふつう」という海でもがき続けていたのだと、アセクシャルという陸地に辿り着いてようやく分かった。
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思えばもともと、恋愛にも性愛にもあまり興味がなかった。ドラマや漫画の中のめくるめく恋愛模様、友人たちが心躍らせる彼氏の話、恋心を切なく歌い上げる流行の歌。べつだん嫌悪感もない代わりに、すべてが他人事だった。「彼氏が風俗に行くのが許せない、そんなに有り余ってるなら私と寝て欲しい」と友人が憤っても、性欲の処理をプロに依頼して済ませてくるなんていい人じゃないか、と思うほどだった(もちろん友人には言わなかったが)。
さらに考えてみれば、アセクシャルになるきっかけらしきものも無かった。大きなトラウマや考えさせられる出来事があってアセクシャルになった訳ではない。私ははじめから、多分産声を上げた瞬間からこういう人間だったのだ。
ああ、これが私の「ふつう」だったんだ。そう気付いた時、不思議なほどあたたかい気持ちになった。自分で自分を分かってやることがこんなにも充足感をもたらすのだと、私は初めて知った。
「ふつうに生きていこう」という結論を、私は出した。
性欲の絡む恋愛はやめておこう。というか、もう恋愛じたい遠慮しておこう。そうして「ふつう」に生きていこう。世間の「ふつう」といくら違っていても、私には私の「ふつう」がある。
アセクシャルの自分に胸を張るでも背を丸めるでもなく、「ふつう」に生きていこう、と思った。
今日も街の書店には女性誌が山積みになり、駅のホームでは別れを惜しむカップルがキスをし、友人たちは恋愛談義を続けている。
私は私で、「ふつう」に生きている。