今年あったリベンジというと、以前から食べてみたかったおまんじゅうが、早々に売り切れていたために、次回友達と必ずリベンジしてやる!という思い出しか見当たらない。
しかも食べたいという執着があったわけでもなく、友達が食べてみたいと言ったからで、売れ切れていても「来月もまたその子と遊べる」という名目のリベンジだった。
でもそれはそれで、どうでもいいミジンコレベルのリベンジだったけど、想像以上にそのおまんじゅうは美味しく、実家にあげると家族に一瞬で食べられてしまうほどだった。

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実家の人たちは皆、仕事か家かのインドア派で、食べ物のために遠いところへ、しかもわざわざ並んで買うなんて絶対にしない。私がそうしてこのおまんじゅうを買ってきたというと、「ありえな~い!」と言いながらも食べ終わる頃には「やっぱり東京の名物はうまいな」となんとも軽い前言撤回をし、げらげらと笑っていた。
後から帰ってきた父にも、「聞いてよ〜」と買うまでの経緯を話しながらおまんじゅうを温め直してあげると、にこにこして食べていた。こうして父と話すのも、家族との団欒も久しぶりで、実家は暗いし自分のことを疎かにしてしまうから距離をおいたほうがいいと思い込んでいたけれど、私は結局家族が好きなんだなと改めて感じた。
実家だけではなく、主人や義理実家にも渡すと、また同じ話の繰り返しだが話の尽きない団欒になった。そして主人が「おじいちゃんやおばあちゃんにも食べさせたい!」となり、敬老の日のプレゼントにとまた東京へ遊びに行き、並んで買いに行った。
その話を種に、今度は両家の祖父母とこれまた楽しい時間を過ごす。「おまんじゅうひとつでこんなに充実するのかぁ!」と感嘆した思い出だ。

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しょうもない話だけれど、このリベンジで私はとても楽しめた。「今度は買えるかな?」とワクワクしたし、買えたときは「やっとだよ」と友達と久々に声を出して笑った。
行き慣れない東京駅は数回の行き来で構内を把握できるようになったし、思いがけない文具展や物産展にも参加できた。東京散歩もしたし、1つ予定ができただけで週末は驚くほど充実した。

日常のなかでいろんな情報にふれ、ふとときめいた記事があったら、実際に買いに行ったり、参加したりと行動することは楽しさを生み出す。
今回誘ってくれた友達は昔から向上心のある子で、いつも新しい話題を持っている。「最近気になることない?」と会話の中で情報交換をする数少ない友達だ。彼女の性格や生きる姿勢に、私はいつも気づかされる。
日常を充実させることは、目の前にある小さなことを楽しんだり、失敗したりの積み重ね。実はミジンコレベルのリベンジも大切な出来事なんだろうな。来年は仕事で「接客」という目に見えて挑戦しなければならないことが私には待っているけど、「相手が楽しい時間を過ごせるように」と思いながら、できることを一つずつ増やしていきたい。
鬱になって回復したけれど、やっぱりどこかで人を怖がっている。来年は失敗が増えるだろうけど、その都度工夫しリベンジして、今年とは違った喜びを味わいたい。