今から約4年前。
23歳のとき、私は逃げるように家を出て行き、一人暮らしを始めた。そしてつい最近に至るまで、母とは一切連絡を取らなかった。私からも、母からも、互いに歩み寄ることがまったくなかった。
◎ ◎
18歳のときに両親の別居が始まり、私と妹は母についていく形になった。
当時の私は自殺未遂や不登校を繰り返していて、どうしようもない状態だった。大検――いわゆる高卒認定試験を受ければいい、学校なんてもう行かなくていい、と思っていたけれど、母は私を通信制の高校に編入させた。抗う気力も起きず、私はただただ状況に流され続けた。
母も妹もごくごく普通に接してくれたけれど、一度死の淵まで歩いていってしまった私は、毎日をどう過ごしていったらいいのか、しばしば分からなくなった。それがだんだんエスカレートし、特にいさかいがあったわけでもないのに、私は母と言葉を交わすことがまったくできなくなった。家にいることがただただ息苦しく、ネットカフェに逃げ込む日が徐々に増えていった。
社会人3年目、自分の気持ちの限界と貯金の目標値がほぼ同時期に重なった。
この家を出て行く。もう、1人になりたい。そう思った。
とはいえ、さすがに何も言わずに家を出て行くわけにはいかない。
でも、どう話したらいいのだろう。どう声をかけたらいいのだろう。
考えあぐねた私は、妹に相談した。「お姉ちゃん、書くことが得意なんでしょ?それなら、手紙で伝えてみたら」と妹は言った。
得意だとは思っていなかったけれど、確かに「話す」よりは圧倒的に気持ちを落ち着けて意志を伝えられる手段だとは思った。紙とペンを用意し、私はありのままの気持ちを正直に綴った。
◎ ◎
「今、ちょっといい?」
一言声をかけることですら、私はひどく緊張した。反応した母は、仰々しく手紙を差し出してきた私に失笑しているように見えた。ずきりと胸が痛んだけれど、私の被害妄想だと言い聞かせてそのまま手渡した。
3枚程度に渡った便箋に順に目を通し、読み終えた母は、また笑った。ただ、穏やかな笑みではないと思った。ファーストリアクション同様、嘲りを含んだものだと思わずにはいられなかった。
幼い頃からそうだったのだが、母は、私が伝えようとしたものを素直に受け取ろうとしたことがほとんどない。それなのに、自分の意見は強引にでも押し通そうとする。そんな母のことが、言葉を選ばずに言えば、嫌いだった。
でも同時に母は、自分にとって絶対の存在でもあった。嫌いだったけれど、逆らえなかった。嫌いだったけれど、怖かった。
結論、一人暮らしをすること自体は了承してくれた。
素直な思いをぶつけた手紙を笑われたことに対してはショックが否めなかったけれど、でも同時に後ろめたさもあった。私は、あまりにも言葉を選ばずに手紙を書いた。手紙の中での私は、「嫌い」という感情が暴走して、言葉を凶器にしてしまった。
一方的な傷つけ方をしてしまったと、時間差で後悔が湧いてきた。母が実際に傷を負ったかどうかは分からないけれど、あの乾いたような笑いは、母なりのショックの現れだったのかもしれないと今では思う。
◎ ◎
それから数日後、私は家を出て行った。行ってきます、と聞こえるか聞こえないかの声量で呟きながら。
「あんな風に、適当に出て行くんだね」と母は諦めたように言っていたらしい。後日、妹から聞いた。そのときもまた、胸がずきりと痛んだ。でも、結局どうしたらいいのか私には分からず、そのまま4年の月日が流れた。
こんな私のことを愛してくれる人が現れ、そして結婚することが決まった。彼のおかげで、死への憧憬もずいぶん和らいだ。そんな彼に「さすがに連絡した方がいいよ」と促され、震える手で私は封筒マークのアイコンに触れた。
疎遠だった間に、母の体調がどんどん悪化していることを妹から聞いていた。母は元々身体があまり強くなく、特に肺が昔から弱かった。
「電話は正直厳しいかな。メールがいいと思う」という妹の言葉を受け、私は普段あまり使わないキャリアメールの新規作成ボタンをタップした。夫と2人で会いに行くことも考えたけれど、コロナ禍ということもあり、それもまた難しかった。
「もし今コロナにかかったら、お母さんは死んじゃうと思う」
母と同居している妹から、ストレートに現実を突きつけられた。
◎ ◎
4年前と同じく、直接話すのではなく文章を通して自分の気持ちを伝えることになってしまったけれど、もう同じことは繰り返したくないと思った。言葉を、刃にはしたくない。
まず、曖昧に家を出て行ってしまったことに対して、心からお詫びをした。
「あの時は、ごめんなさい」
長らく連絡をしなかったことも、同時に謝った。返事は来なかったけれど、「結婚おめでとう、良かったねって言ってたよ」と妹づてに聞いた。
母と次にいつ会えるのかは、分からない。会えずじまいかもしれない、ということも、妹の話を聞く限り覚悟している。
今ではかつてのように、母のことを嫌いだとは思わない。素直になれない部分はまだまだあるけれど、母がいなければ、そもそも私はこの世界で生きていないのだから。今ある平和で幸せな毎日は、大元を辿ればそこには母がいる。
そのことを、私は忘れてはいけない。