キリスト教の中高で過ごした私は、未だにクリスマスになるとヘンデルが作曲した『メサイア』が聴きたくなる。
なんだかとっつきにくいエッセイが始まりそうだと敬遠されるかもしれないが、この『メサイア』とは全53曲で編成されている大作で、そのラストの曲がかの有名な「ハレルヤコーラス」なのだ。

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母校では冬休み前の短縮授業の時期に「クリスマス礼拝」というものがあった。
聖書の朗読やハンドベル部の演奏の後に、全校生徒で「ハレルヤコーラス」を合唱する恒例行事があったので、中高6年間過ごした子達は卒業する前に必ず「ハレルヤコーラス」のアルト、ソプラノ、メゾソプラノパートが歌えるようになっている。

私の高校では音楽、家庭科、美術は選択科目となっており、合唱や調理実習、油絵に陶芸など、自分の興味関心に合わせて授業を受けることができた。
私が高校3年生の時に選択していたのは合唱の授業。
他の選択科目はいじめっ子が散らばっていたので、一匹狼な私もこの時ばかりはいつメンと固まっていたくて合唱の授業を消去法で選択した。

合唱の授業の先生は若くて明るい美人な先生。
母校の卒業生で、声楽家としても活躍する方だ。
しかし先生曰く、「伴奏があまり得意ではない」とのことだった。
合唱の授業を取っていた子達は、歌う気のないギャルや読書が好きなおとなしい子。
その中の3分の2くらいは、のちに保育士になったのだが、ピアノはそこまで弾けないという子ばかりだった。
そこで白羽の矢が立ったのが私である。

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私の母はピアノの講師で、幼い頃からピアノとエレクトーンがおもちゃ代わり。
2歳年下の妹との遊びは「ピアノの鍵盤を1〜3音同時に叩いて音を当てる=絶対音感ゲーム」。
それ故に、楽譜を見るより、耳で聴いた方が曲をすぐに弾けるという、役立つ機会があまりない特技を手に入れた。
ちなみに音楽大学に進むコースの子達は「ソルフェージュ」という授業で、こういった絶対音感(通称・聴音)を習うそうだ。
私にとってはこれが“普通”の家庭で育ったのだが、誰に話しても「高度な遊びだ」と言われる。

選択科目は2コマ分連続で行われた。
分かりやすく言うと、3時限目と4時限目連続で行われるもの。
その3時限目と4時限目の合間の休み時間に、友人にリクエストされた曲を絶対音感を元に、即興で弾く遊びをしていたのだった。
「いいこと思いついた!」と言わんばかりのキラキラした笑顔で、「吉川さん!あとでハレルヤコーラスの練習の時に伴奏弾いてくれない?」と先生が言う。
「え!?ムリですよ!私、楽譜読めないですもん」
「そうじゃなくて!吉川さんなら耳コピできるでしょ?ちょっと弾いてみてよ!お願いね!」
先生とそんなやりとりをしていたところ、10分程度の休み時間が終わった。

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不安な中、私は音楽室のど真ん中にあるグランドピアノに向き合っていた。
「ここまで来たらやるしかない……」
かの有名な「ハレルヤコーラス」の冒頭の部分を思い出しながら弾き始める私。
「あれ?イケるかも……」
気を抜いた矢先、「♪〜ハーレルヤ!ハーレルヤ!」の歌詞の下で動く伴奏部分の旋律は、毎年の「ハレルヤコーラス」でちゃんとは認識していなかった。
一瞬で頭が真っ白になった。
「あ、ヤベッ。ムリじゃん」

とりあえず「♪〜ハーレルヤ!ハーレルヤ!」のメロディラインを右手で弾きながら、それっぽい伴奏に見合いそうな1音をオクターブで同時に叩く。
私の即興での伴奏は、見事にみんなのハーモニーをかき消していた。
途中で焦りまくっていた私に気付いてくれた先生が「はい!オッケー!そこまで!」と言ってくれて、耳コピチャレンジはあえなく終了した。

少しニガイ思い出だが、ヘンデルの『メサイア』、ラストの曲の「ハレルヤコーラス」を聴くたびにあの時のことが鮮明に蘇ってくる。
あれ以来、毎年クリスマスになると「ハレルヤコーラス」のあらゆるパートの旋律を聴き分けて、弾く予定もない合唱練習の伴奏に備えているのはここだけの話だ。